反戦と抵抗の祭り(デモについて)

デモはいいな、と思った、ことについて。
(東京であった反戦と抵抗の祭りのデモに参加しました)

いい、っていう意味は自分にとっていいな、ということ。
自分の表現の場所として。ダンサーとして。パフォーマーとして。

デモで一番の舞台となるのは、交差点です。
交差点というのは、そこはすべての道はローマに通じる、のように、視線が集中する。
デモが通るまでは、車は動けない、また、歩行者も待つしかない、円形劇場のように視線が集中する、その交差点の真ん中に飛び出して、どういうパフォーマンスをするのか、

京都でいったら、四条河原町の交差点、でどういうパフォーマンスをするのか、
思えば、京都はデモが多い、コースは市役所前から、河原町通りを下り、四条へと曲がる、そこが四条河原町交差点、
交通規制を長くすれば人があふれるし、おまわりさんにとっても一番難しい地点、一番何かが起こりそうなところ、、、
東京のキングオブ交差点といったら、渋谷ハチ公前でしょう、今回のデモコースにそこが無かったのは残念でした。かわりにコースは、なぜか青山・表参道ときれいなブランド店のつづく道、貧乏人のデモにあまり共感を呼んでもらえなさそうなコース、
でも、あまり東京のデモに参加したことのない私には、新鮮で、途中からきらびやかな歩道を歩きました。
歩いたというより、踊りました。ヴィトンの前で、シャネルの前で、私、テンションあがると、英語になるくせもあり、come on vitton, vitton is no. 1 など、適当な事を叫びながら、、、ファッションショウの映像が流れていれば、それを真似して、くるっと回って、次の店に行き、クリスマスツリーがあれば、真っ赤なお鼻のトナカイさんを歌い、ロッテリアがあれば、Lotteria is cheep!と叫び、などかなり適当をつくしたのに、やはりデモはいいです、呆れられても、つかまったりはしません。
デモは私にとっては一番パフォーマンスをしやすいのかもしれません。ただ、今回準備不足だったので、キョートット出版の本のよさについては表現できませんでした。

そんなわけで、デモのトラックでどんなことやってたかほどんど見てません。去年はまなはげがでたようです。
http://illcomm.exblog.jp/4255790/(イルコモンズのふた、より)

今回のデモで一番、嫌だなと思ったのは、デモの歩く車道と歩道の間に警官が立ちはだかっていた事です。そして、
私が歩道に出ようとすると、「出るな、車道を歩け」「いちど歩道に出たら、戻れないぞ」などと言われた。そんな、ばかな!

彼らは、デモと歩行者とをはっきり分け、歩行者が新たに入ってこないようにしているわけです。
それではデモの魅力は半減です。
魅力とは、境界のあたりのはっきりしないところにあることが多いものです。たとえば、一番後ろのあたり、私は歩くのが遅いので、長い距離を歩くデモだと一番後ろを、警官に「しっかり歩け、おいていかれるぞ、」なんていわれながら歩く。
一番後ろは歩道から声をかけられやすい。

たまたまデモに出くわした人が、一番うしろの人に「何やっているんですか?」と声をかける。
「私もなんだかわからないのだけど、ついていっているのです。」と答える。
その人もついていく。

私もイタリアにいるときは、よくわからず、デモについていっていた。
街を散歩していると、デモにぶつかる。そして、デモも散歩のよう、話をしながら(音楽も)。
街で、デモに会い、気になるプラカードを見つけたら、一緒にデモを歩きながら、それについて話をする、そんな感じのようだった。
散歩、立ち話、声が大きい、知らない人たちの議論にも横から入る、そういうイタリアの日常の一つにデモがあった。
つまりデモとは、あるテーマについてみんなで話をしながら、街中の人たちをまきこみながら、散歩することだった。

ああ、それを思うと、デモを単なる行進にしようとする警官たち、いつまでたっても日本というところには民主主義は根付かない。

長くなりました。最後に今までの私のデモ体験の中から、散歩なかんじのいい話、を書きます。
急に雨が降った話。
2,3年前、京都で反戦ミュージックというイベントがあり、そのデモがありました。訴えることはもちろん、反戦、わりと少人数の楽しめな、PAはリヤカーに載せてなサウンドデモ、だったんですが、なんせコースが長かった。
最初、繁華街を歩いているときは、派手に踊ったりしてたんですが、だんだんまち行くひとが少なくなると、疲れもでてきて、一番後ろの方をボーっと歩くだけ、隣を歩くおまわりさんも、長いなーとうんざりしたかんじ。
そのとき、急に突風が。看板がバタバタたおれるような。
そして、ドーと大雨が降ってきたのでした。
みんな大慌て、PA覆ったり、、、
でそのとき、私は折りたたみ傘をもっていたことに気づきました。
それを、広げ、みると隣の体格のいい警官もずぶぬれになっています、どうぞ(入りませんか?)というと、いやいや、といってたんですが、どうぞどうぞ、いやあ、まいったね、という感じで、一緒の傘に入って、歩きました。
やっと目的地の西部講堂につくころには、雨はあがりました。
そして、おつかれ、とお巡りさんといいあいました。どこか、ずっと歩いてきた仲間のような気分になってたのでした。

反戦と抵抗の祭り(デモについて)” に対して1件のコメントがあります。

  1. なお より:

    お久しぶりさん。
     こちらBerkeleyはデモにしょっちゅうあいます。行進したりするわけではなくて、人数も7,8人ぐらいの少人数のことが多くて、自分たちの職場の前の道で道行く人や主にはドライバーに向かってプラカードをかかげます。道行く人がその事に賛同したなら派手にクラクションを鳴らしてあげます。ブーブーブー!!イエーイ!!ってな具合。デモって行進なイメージがあったけど、あーこんな形もありなんやなーって面白かった。

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