カテゴリー
未分類

前言

物事を曖昧にしか把握してこなかった、という思いがすることがある。何かを徹底的に考えるということがなかったということである。社会に対しても他人に対しても(もちろん自分に対しても)曖昧な態度で留保してきたという感じがする。それで取り逃してきたことも多いようにも思う。 もう少し、物事をはっきりさせてもいいのではないかという気がしている。どこまで出来るかというと心元ない。しかし、そういう試みをしないことには、いつまでも同じところに留まっているだろう。 なお、徹底的に考えるということについて、現実的ではないとも思っている。むしろ、考えるということは、あるところで考えることを止めるということを現実的には意味しているとも思う。つまり、何かの考えを現実に適応しようと思えば、どこで考えを停止(つまり判断)をするかということが重要になる。そこにおいては、焦点を当てている現実と判断の水位に自覚的である必要がある。 つまり、徹底的に考えるということと物事をはっきりさせるということは必ずしも同じことではない。では、これから作っていく、このブログがどちらの方向性を目指すのかというと、実は決まっていない。この間で、揺れ動くことになるだろうけど、それは、このような認識の元にある。

「前言」への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です