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耳だれ?上野日記
キョートット出版

 〒615-0062  京都市右京区
 西院坤町126
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@kyototto
BLOG
キョートットの本

劇団耳だれ?
4月2日上野公園で
報告をします

昨年9月、自転車にテントを積んで高円寺を出発した劇団耳だれ? 生田緑地(岡本太郎美術館)、鵠沼海岸(中国国家作曲者、聶耳水没地)、熱海(お宮の松)とテントを張り秋を通過した耳だれ?の見たものは、考えたことは、そして行なったことはなんだったのか! 出会った人々を招き、花見をしながら、報告します。報告という名の新たな演劇。

4月2日、昼11時開演、上野公園の子供広場(上野駅公園口をでて動物園に向かう途中、噴水池を越えてすぐ)
雨天決行
座布団、お酒、食べ物、もってくるとよいです。

耳だれ?日記、上野篇

去年の秋、耳だれ?の旅が終わって、その旅の様子を発表したい、そういって時間がたってきたんだけども、そのあいだなんだろ、耳だれ?って何やってたん?と聞かれて、うまくこたえられない。それなりに面白かったとは思うのだが、うまく伝えられない、伝える努力をさぼってしまう。そこで今回、こうだったという事の報告をすることにしました。それだけで面白いものになると思う。でもどうも耳だれ?のいきがかり上、それだけではすまなそう。

3月13日

てつオの手紙よりーー
そして、今日恭平と上野公園に下見に行ってみたら、あんなにたくさんあった浮浪者の家が1つ残らずなくなっていました、そして所々の木々に、人形やら鏡などがぶら下がっていました。
これは一体……。浮浪者に尋ねてみると、上野の博物館に「雅子さま」がくるので、撤去させられた。先月も皇族が来て、2回撤去させられた。臭いものにフタだよ。
今も、昔、皇族が通る道すじの被差別部落をこわしたりしていたのと同じ事が行われているのか、と驚いていると、博物館から車で雅子さんがでてきて、「まさこさまー」とおばさんたちが黄色い声を投げた。うわーと思っていると、車がいってしまったとたん向こうから、リヤカーやら荷車やら(車イスもあった)に荷物をつんだ人たちが続々。黒塗りの車とくらべその光景は解放感があり、楽しい気分になった。
それぞれの荷物がきれいに荷造りされているのにも感心した。
近くに、荷物を結集させられている道があり、どんどん公園へと戻っていく。
一時間後再び、公園へ行ってみると以前と同じに浮浪者の家並みが出来あがっていた。
警察(公園管理)との関係の中で、一瞬で出現し、一瞬で消えることが出来る数百人の街。
今の予定では、一週間くらいここにキャンプをして「耳だれ?」の準備をするつもり。

上野公園には像がおおい。

見立てるということ
不忍池は上野の山の寛永寺の坊さんが琵琶湖を摸してつくらせたものらしい。
たとえば、上野の桜をお宮の松と見立てることができるか、上野を熱海と見立てることができるか、見立てるとはなにか演劇的なかんじがある、そしてまた、そこにすこし演劇のこわさを感じるのだが、よくわからない。そしてまた、生田で能をみて、そこに見立てというものの見事な形をみたとかんじたようだった。(考察不足)

3月25日、西荻窪ー早稲田

今日はいい天気で春っていう日、一人で出発する、てつオは自転車を東中野においている。自転車、とても軽く、こんなに気持ちよかったっけ、出発するっていう気持ちよさ、これも耳だれ?にあったことをおもいだす。
早稲田のあかねにいって、恭ちゃんと話す、京都関係のHPをつくる話とか。夜12時、テントをはれる場所をさがして近くをぐるっとまわる。いい公園もあるけどけっこう寒い。あかねに戻って、あかねは朝まで営業で、酒を飲む。やっぱり、かえるところの人をつかまえてたのんで泊めてもらう。 3月26日、ー上野公園

朝でんわで、てつオと早稲田大隅講堂集合になって、いってみるとてつオはいた。今日もいい天気、大隅講堂前はいいところ。ラジオをつけ、耳だれ?出発。

今日は日曜日、上野公園はすごい人出。子供広場はたくさんの子供、予定の桜の木の下にひとまず落ち着く。桜、でもこの木は桜ですかと聞いてみると、いや桜だけどこの木は八重桜で咲くのは遅くて、15日くらいかな。しまった。
どこにテントをはるか?

3月27日、上野公園

上野公園の朝は早い。そして賑やか。テントの外よりいろんな音が聞こえる。カラス。大ボリュームのラジオ体操。民謡の練習、そして毎日くるというバトミントンのおばさんおじさんの声。

恭平より1日遅れて出発した私(てつオ)。
東中野から大隈講堂。晴れてて気持ちいい。東中野で倉田さんからもらった吉田拓郎のレコードのために、吉田拓郎の歌が頭を巡ってしまう。大隈講堂でタンバリンを打ち鳴らして陶酔しているおばさんを見ていると恭平が眠そうな顔で登場。
出発と同時にパティスミスの新曲がラジオから流れる。なんかかっこいいスタートだった。二人で自転車で走っていると耳だれ?の感覚を思いだす。こうしてテントを張っているのもそうで、公演に向けてのリハビリという意味が強い。浮浪者の人と(吉田さんと佐藤さん)話していろいろ情報を得る。朝9時半までにテントをたたまなくてはいけないこと。4時半になれば張ってもいいこと。浮浪者の中にもいじめや壁があること。水をかけたりする馬鹿がいること。今日7時から炊き出しがあること。盗難に注意すべきこと。吉田さんは、7ヶ月もテントもなしにベンチで寝ているという。分からないことがあれば相談しに来いと親切。吉田さんは一番近くに住んでいる隣人だ。それから、まだ名前が分からないが、谷中墓地の方に住んでいる(アパート?)おじさんが色々話しかけてくる。やはり盗難には要注意のようだ。上野公園の歴史に詳しい。10年くらい前から浮浪者が住み始めたらしい。このひとに連れられて、山谷争議団の炊き出しを貰いに行く。菜っぱのおかゆ。塩は強いがけっこううまい。二杯もらう人が多かった。恭平がまぐろの荒のスープを作る。夜はかなり寒い。ぼくは羽毛の寝袋を買ったからそうでもないが、恭平は寒いだろう。
今日ぼくは朝のバトミントンに参加する。毎日やっているだけに上手だ。恭平が吉田さんをご飯に誘う。暖かい汁がうれしい、という。吉田さんは、ガスコンロを持っていない。浮浪者の人に話かける時、ぼくより恭平の方が気後れしてない感じだ。上手な感じ。

江村さんと岡さんと関根さんが遊びに来る。

3月28日、上野公園

生田に行って、酒井さんにあう。いつものにんじんで。酒井さん、2日は孫の相手でおそらくいけないっていって酒代にといってカンパをわたす。もらう。裁判の話、焦点の副館長北條さんの証人喚問はどうなったんですかと聞くと、1時間半ばかしやったけど、やっぱりきつねとたぬきの化かし合いだねとわらう。
店を出ると雨が降ってる。酒井さんとわかれ、生田緑地に行く。静かで(耳だれ?の時は、工事や美術館開館でうるさかったんだときずいた気付いた。)森がしんと清潔な感じがした。いい所だ。学芸員の大杉さんに会いに行く。忙しそうなので、太郎の展示をみる。前より絵が目に入る。それで、岡本太郎は「動き」を描こうとしていたのだな、と思う。写真でもそうだ。そう見ると前よりずっとよく見えた。問題になっているのは動きなのだ。意外にかわいい動きや身振りも作品は含んでいる。また、様々試みてもいる。公開制作やヘリコプターのライトで、空に絵を描いたり。絵は、動いていく中の一局面にすぎない。だから、似ているけど少しだけちがう絵が金太郎飴のように出来てくる。だから、動きの止まったものとして「いい悪い」というのは少しちがう。しかし、絵や彫刻は、動きはしない。だから作品を見る時、動かない絵を動かそうとする、岡本太郎の精神(情熱)を見ることになる。一枚の絵の中に、連続する絵のなかに、そして、生き方も一貫して「動き」にとらわれている岡本太郎。それは、どんな人間かよりどんな動きをするかに興味があるかのような冷たい視線もある気もした。(ちょっと分からないけど)。ともかく、耳だれ?にむけて、かなりの示唆を得た。恭平も、「動き」を絵で描こうとしていると言っていましたね。リズムとか。
いいのがたくさんあったなあ。とくに、50年代、60年代、やはり油にのってるかんじでいい。動き、動いているというのは古今東西、絵の誉め言葉だよね。だけど、動いていないものを動かそうとする情熱、というのはピンとこない。たいていのものは動いているし、どうしても時間というものがはいってくる。実際に描いている作っている時間とか。だから太郎は描いている時間を大事にしてた、まあそのとき生まれてくるものを描こうとしたんでは。つまりようは、即興です。私の場合、線でしか描けなくて、その線はダンスの軌跡のようなかんじで。でも、私は内からダンスは生まれなくて、何かに対する反応、風景や音楽に対して、だから何か見ながらとか聞きながらでないと絵は描けなかった。
動きということではダンスは直接的で有利なんだけど、絵にも利点があって、それは今まで自分が動いてきたもの(描いてきたもの)がはっきり残っているから、それに反応してまた動いていくことができる。あたりまえだが。太郎はそういうふうに描いてたんだと思う。
美術館を出て、雨のなか散歩する。生田では雨ばかりだった。あのダンロップの人とか住んでた、東屋にいってみると、そこはすっかりかたづいてる。ここはやはり風光明媚、てつオとふたり練習、さっきあった酒井さん、大杉さんのものまねをしあう。

3月29日、上野公園

今日は風が強いがいい天気、桜開花。いま公園管理事務所の人が来て、昼は寝転んでちゃだめ、と注意される。てつオのブランコのところに乾してた洗濯物をみつけ、誰の!、てつオがちいさく手をあげると、はやくとって!という。走って!、月曜日以外は洗濯物は許可してない、という。この人は黒い眼鏡をかけたおっさん、一番口ウルサイという人で自転車でまわって、ねてるホームレスの人を見つけては、起こしてる。おとといこの人に、お前たちここに一週間くらいいるといったなあ、それならホームレスとして扱うからな、といわれた。それはある意味ここに泊まっていいという許可であり、また我々のルールに従ってもらうぞ、ということでもある。朝9時にテントをたたんで下さい、という放送がはいる。

3月30日

よく晴れた空。今恭平は、Iさんと区役所の福祉課に出かけたところ。Iさんは、昨夜、盗みの疑いをかけられて、大騒ぎになっているところ、よくぼくたちのところに遊びにくる近所に住んでいるおじさんと仲裁に入って知りあった人。子供広場前のうどんやの軒で寝ようとしていたとこ、そこにもとからいた人と口論になった。Iさんは「ぼくやってないもん。分からない。」と警察に行くのをひどくおびえている様子だった。今上野についたところで、福祉農場から逃げてきた。死ぬ覚悟できた。また、一方のうどんやの軒に住んでいる人も、まだ2週間目で2回も盗難で荷物を全部持っていかれていて、犯人を捕まえようと見張っていたという。少なくとも、Iさんは、その犯人ではないし、今も盗んだという証拠はないため、どうにか和解した。そうして、ぼくらはIさんと飯をともにした。iさんは、ペットボトル1つの他は1円も何ももっていない。話してみると、知的障害はおもったより全然軽くて分からないくらい。Iさんから聞いた農場の話<はひどいものだった。農場は、主に養豚で、牛や鶏や、畑もやっている。従業員は障害者で、(14名)、朝6時から夜7時まで働きづめで、休みもない。(社長の機嫌しだい)。社長に「ばか、のろま、あそんでいる、はげ」等怒鳴られてばかりで、顔色をうかがってつらくてもにこにこしていなければならない。風呂でもずっと肩をもんだりしなくてはならない。ひどくワンマンで人の話を聞かない。食事は、コンビニの期限切れ弁当が多い。(奥さんがつくることも自炊のこともある。奥さんはいい人との事。)。そして、驚くことに、給料は月5千円。しかも、郵便局に振り込みで、通帳は、社長が持っていて、Iさんには現金が入ってこない。Iさんはカードも貰えなければ、口座番号もしらない。正月に5千円貰えるくらいだという。茨城にある富士福祉農場。彼は、3年間働いて、逃げるのは3回目だという。この農場は、放し飼いの自然農場として、(おそらく障害者の福祉作業所として)、5・6年前多くのテレビで紹介されたという。 やっぱり役所はラチがあかないかんじ。何人かの人電話して教えてもらったDPIというNPOに電話が通じた。Iさんがお金がないというと、向こうの人が迎えに来てくれることになったらしい。待ちあわせは西郷さん、Iさんは一人で行くといって30分前に出ていった。 4月3日、上野公園子供広場

一回やるといろいろわかる気がしますね。
て:そうだね。あたりまえだけど。まず、来てくれた人にありがとう。あまり感想を聞かなかったので教えてください(掲示板にでも)。ぼくは、やっぱりこの公園で知りあった住人の吉田さんや清水さんを紹介したかったな。紹介することが、ここでの1週間の生活を報告することになったと思うので。それどころか、耳だれ?全体の報告にもなる。吉田さんとかの気持ちを考える(想像すると)とぼくたちの場所にいることが、楽しい気持ちになるのは、簡単かはちょっと分からないので、相当気を配ることが必要で、でもそれを踏まえながら呼べば良かったなとおもう。吉田さんが、帰ってきた時点で、呼ばなかったのは、熱海の話しが終わっていたためが大きくて、流れに囚われすぎだった。
それはそう。その時もう酒がなかった。吉田さんを呼びたかった。よお、と自然に入れる場ではなかったろうが、そうてつオのいうとおり。今日は一緒に飲めたら。昨日のカンパ6500円で蟹すきの予定。
てつオに終わってから、きょへいは顔を見て話をしてなかったといわれ、そういえば今日は地面を見てる時間が長かった、いつもより人が話を聞いていない感じがしたが、それも顔をあまり見てないからわからない。だから、今回わたしは話をするということをあまりしてなかったかも。
て:人が話を聞いてない感じだったのは、色々理由あるだろうね。もちろん、聞いてた人もいたと思うけど、花見を主眼で来た人は、桜が咲いてなかったからね。落ち着いて、話が聞けなかったのでは。みんなあんまり気にしてないな、とおもっていたけど、大きかったね。花が咲いていたら花見心も満たされ、落ち着いて話を聞く気分だったかもね。
いやいや関係ないでしょ、落ち着いてこんな長い話聞けないよ。あんまり話をきいてない感じはOK、BGMのように話を流す感じもいいかなと思ってる時もあった。でもそんな風に話される話をちゃんと聞くとしたら苦痛だな。
いや、なぜこの場所でやっているのかが分からないことは、なんでも落ち着かないよ。だからこそ、吉田さんとかを呼びたかったね。この公園の面白さに気がついた人はほとんどいなかっただろうなぁ。パっと分かることじゃないしな。でも、帰りの電車の中とかで、そういえばなんであの場所だったんだ、と考えたりするかも。もっと、説明しても良かったね上野のことを。
ああ、あのベンチに二人すわってゆっくり話をするという場面とかあったらよかった。
て:そうだね、やっぱり想い返してみると気持ちにもう少しだけゆとりがあれば良かった。ベンチといえば、最初やる前に、ベンチに横になっていた時、吉田さんを想った。吉田さんにとって、いつもねている自分のベンチって、輝きを持っているんだろうな。ぼくにとっても、この花見の場所に比べて、さえなく薄ぐらい子供広場が輝きを持ってきている。
子供がブランコから落ちた、何人ブランコから落ちた子供を見たことだろう。
て:えっ、そうだっけ。盗難の心配があって、基本的に1日中この公園を眺めて1週間を過ごしましたね。
ここは中間ですね。ここで何かするとしたら吉田バンド結成とかどう?
て:吉田バンドか。名前がいいね。やってみたいような気もする。
スターをめざす。
て:いいね。バンドマンとしてもていたらしいからね。
話かわるけど、やっぱりダンドリってよくないよ、ぼうっとしているとダンドリに頭がいってしまう。
て:ダンドリねぇ。一般的に悪いといういい方はできないと思う。どのくらいまでどのように決めておくか、は、やる事によってその都度ちがって、それを練習の中で決めていくというのがいいんではないか。でも、時間がないとそれを初めに決めてしまうことになる。今回の場合、たしかにダンドリは決めても、何が起こるか分からないから無意味で、むしろr足をひっぱるものになっていたかも。でも、まず問題だった事は、旅から5ヶ月もたって、よく覚えていなかった。だから、ダンドリや、流れを考えることは、思いだすのには良かった。たしかにダンドリどおりにやろう、というのは良くなかったね。恭平が何を考えているか分からないところとかでは、やはりダンドリに気持ちがいった。やる前に、お互いの考えていることに敏感になろう、と恭平が言ってた。それが重要だったけど、どれほど出来たのか。
ダンドリがないと不安なかんじ、それは練習が足りなかった。練習はその場でやれることの可能性が広がる可能性がある。ダンドリはそれを制限してしまう。また、来てくれた人やてつオに対してやるという面が制限される。ダンドリを決めたりしたくない感じがしたのは直前に読んだ太郎の言葉の影響があるような。、ぶつかり瞬間瞬間燃えあがるのだ、うまくあってはならない、とか、こう切りとるとつたわらないけど。そこで必要なのは、敏感さや動いていることなのだが、むずかしい、そうなんだよなあ、もう一度やったらもっとよくなるような、そう何回も公演をしてたとえ同じ演出でやっても毎回違うものになる、それも芝居の面白さだものね。て:そうだね。「動き」というのを太郎の絵から教わったんだった。今朝目覚めてテントを開いたら、さげっぱなしの「TAROISBACK」のポスターがパッと目に入って、おはよう、と太郎に言われた気がしたよ。公演は、くり返しにもなるけど、少し考えが違ったかも。もちろんそういう気持ちもあったのだけど、「報告」と上野公園を結ぶということにもっと力を入れたら良かった。それも見立てる、とかより、ニエアルの曲を知っている中国の人を探すとか、演奏できる人を探すとか(もしかすると吉田さんも出来たかもしれない)、母の塔ロケットの報告も失敗した、ロケットで吉田さんを探しに行くとか、子供広場をまわるとかすれば良かった、あれはまさにつなぐものなのだから。これは、練習するというのと同じでもある。いつも練習の中で結びつきを得たりヒントを得たりしていたのだから。とすると、今から思うとここに滞在するのが、1週間というのは、短い。でも、体力的にここはけっこうきついから、難しいけど。そういう滞在日数もダンドリで、やはりそれは練習(実践)からしかみえてこない。て:お世話になった公園の住人とともに、打ちあげで鍋をした。いつも1日1食はともにしていた吉田さん、佐藤さん、公園の主(8年)のじっちゃん、大分のアル中の村上さん、今回色々手伝ってくれた岡さん、だめ連のペペさん。今日は寒かった。ぼくは村上さんを見ているとだんだん泣きたいような気持ちになってきた。村上さんだけではなく、住人の人たちは心優しくすぎる感じで、それで重い気持ちになった。じっちゃんは、ただニコニコとしていた。村上さんは、3時半くらいから8時くらいまで、ずっといい感じで飲んでいて、でも最後の方で目が座って、「私は早く死ぬんだ。みんな死ねばいい」と言ったりした。結局、未来が見えない、このまま野垂死ぬだけ、というところにぶつかる。もちろん、みんながそうではないだろうが、そういうきもちを抱えて生きていて、それがどかしようもない重い石になっている。そういうきもちがだんだんと自分にも移ってきた。公演を終わって桜が咲いている方で花見をしている時、まわりの友人たちがこぎれいで、違和感があった。吉田さんや佐藤さんと話している方がしっくりする感じでなんとなく、桜見の方へ行きたくなかった。1週間でそうなのだから、1ヶ月もしたら住人の感覚になるだろう。(佐藤さんも吉田さもテントもなくベンチで横になっているだけ)。夜、花見でどんちゃん騒ぎをしているとこるから50メートルくらいしかはなれてないテント村に行ったら、時間が止まったかのように物音一つせず寝静まっていた。なんかひどく神秘的にみえた。
4日の朝、いつものようなラジオ体操、バトミントン。
て:そう、ここは住人(浮浪者)に対してのコントラストが鮮明な場所だった。体操や、バトミントンをする驚くほど健康な人。子供たち。恋人たち。花見で騒ぎ食べものを捨てる花見客とそれ(エサと呼んでいた)をあさる浮浪者。佐藤さんがごみ箱をあさっている姿は、いつも話している人だけに目に焼きつく感じがした。しかもたいてい何も見つかってなかった。美術館や博物館を訪れ護衛つきの車で通りすぎる皇族とその一瞬のために家を撤去しなければならない浮浪者。
(それを山狩りと呼んでいた)、目の前に浮浪者が寝ているのに大声で「イマジン」の練習を繰り返すギター少年とうるさくて眠れなくても注意をできない吉田さん。それと同時にもちろんいろんな人が住人にもいる。でも、すごくお人好しでどこかがんこそうな人ばっかりだったなぁ。
昨日、いつも言葉元気な吉田さんが風邪気味で元気なさそうで心配だった。朝、トイレの前であいさつ、あんたたち心配することない、風邪ならじき治るだろ、という。
体は悪くするよなぁ、元気なのが不思議なくらい。吉田さんがいて、ずいぶん楽しい生活になったね。ぼくは、手が赤切れになって痛い。顔もごわごわ。上野公園は、耳だれ?出発前に斎藤くんが言っていたリアルなことに満ちていたな。

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