第4回 フィンガーチョコ、私の闇、同じ世界線

 お菓子とコーヒー。それは間違いなく、私の人生の相棒だ。

 言葉にしたくないようなネガティブなものに心が囚われるときも、甘いお菓子と熱いコーヒーは無条件にそれを受け止め、じんわりと包んでくれる。10年前、そんな相棒の片割れ・お菓子への感謝があふれるあまり、短いエッセイを書いたことがあった。前回の投稿と同じ趣向になるが、過去に書いた文章をはじめに置き、そこから現在のことを流れるままに記してみた。

 お菓子の話から思いがけず「喪失感」と向き合うことになり、たまたま読書中だった本『「知らない」からはじまる 10代の娘に聞く韓国文学のこと』((ま)&アサノタカオ著 サウダージ・ブックス 2022年刊)にある言葉が、私に力をくれたことなどを綴っていく。

「マカロン、フィンガーチョコレート」
ZINE『かめろん通信』第1号(2012年7月刊)より転載

 生クリームや洋酒をふんだんに使った華やかなお菓子にうっとりすることもあるけれど、一番心惹かれる洋菓子は、ビスケット、ウェハース、クッキーという類で、それらは響きもどこかゆかしく、懐かしい。

 20代の頃に毎日通勤していた町、そこは東京でも西八王子という都心からほど遠いのどかな町だったが、甲州街道沿いに古い菓子店があった。

 袋菓子や駄菓子などが置いてある一方で、「マカロン」とラベルの貼られたガラスケースには、ゴロンと丸くて厚いクッキーのような焼き菓子がバラ売りされていた。マカロンといっても今よく見かけるタイプのマカロン−−アーモンドパウダーとメレンゲをベースにしたカラフルな生地でクリームやジャムをはさんだタイプ−−とは、様子が違う。味わいや食感もクッキーとスコーンの中間のようで、小麦粉の素直な風味が良く、それはそれで美味しかったのを覚えている。

 今ではもう、その店は、ないかもしれない。朝、職員バスの出発を待つ間、足早に訪ね、おやつ用にマカロンをふたつ、みっつ、購入するのが楽しみだった。秋は街道の銀杏が鮮やかに色づき、関東の(今住んでいる京都とは明らかに異なる!)クリアな日差しが眩しいほどに黄色の葉を照らしていた。そんな風景が重なる、それは私の20代の懐かしいお菓子。

 ところで、そういう素朴な洋風菓子は、製法が輸入されてから長い時間をかけて日本的にアレンジされてきたものなのだろう。それでも、どこかルーツである「本物の西洋」の香り、あるいは昔の東京(または京都などの都市)のモダンな文化の記憶、その片鱗のようなものをふと直感することがある。直輸入とはまた異なる趣の、そんな洋菓子に出合ったときは、愛おしさを感じてしまう。

 最近、新しい出合いがあった。家の近所の菓子店で、フィンガーチョコレートを見つけたのだ。

 フィンガーチョコレートもまた、気軽な洋菓子のひとつだろう。甘すぎないサクッとしたビスケット生地を、チョコレートで包んだお菓子。食べる、というよりは、つまむ、という表現が似合う。形が「フィンガー(指)」のようで口に入れやすく、何とも軽やかな魅力がある。

 新たに出合ったフィンガーチョコレートは、しかし、よくある、アルミの銀紙にぴっちり包まれた体裁ではなかった。包み紙は金もしくは銀で、キャンディーを包むように両端をきゅっとねじってある。この姿がちょっとレトロで、楽しい感じ。サイズもよく見るタイプより大振りで、それもかなり嬉しい。チョコレートにはほんのりブランデーの香りさえ漂い、なかなか素敵なのだ。

 将来、喫茶店をやりたいな、と想うことがある。

 それはひっそりした空気の、独りで来る人がゆっくりできる、小さな店。何より私は自分の居場所として、そんな喫茶店を夢想する。メニューはシンプルに、食べ物はこんがり焼いたトーストくらいにしておこう。特上のコーヒーには、このフィンガーチョコレートをそえてみたい、と思う。

 以上が10年前の文章だ。

「製造終了になりました」

 登場するフィンガーチョコレートは、京都西陣にある「たんきり飴本舗」というお菓子屋さんで購入していた。このお店はその名も示す通り「たんきり飴」が名物。古風で直截なネーミングのその飴は、甘口・辛口の2種類があって、私は辛口派だ。生姜の味がガツンと効き、喉への刺激がとっても快感。ほかに、昔懐かしい雰囲気のビスケットやウェハース、半生菓子、おかきなどが行儀よく袋に入れられ、並んでいる。

 ただ、私の愛するフィンガーチョコレートは、もうだいぶ以前から店頭に姿が見えなくなっていた。気になりながらも日ばかり打ち過ごしていたが、先日お店の人に尋ねると、「製造元で製造終了になりました」という言葉が返ってきた。

 もう二度と、あのフィンガーチョコレートは手に入らない・・・・・。ショックだった。森茉莉のエッセイの次の一文が、胸に浮かんだ。

 「私の好きな、安くて贅沢な味の菓子とか、気分のいい石鹸とかはどういうわけかきまって製造元で製造停止になるのである。」
「お菓子の話」/『貧乏サヴァラン』(新潮文庫『私の美の世界』所収)より

 森茉莉と自分を並べるのは気が引けるが、その嘆きの言葉に私の思いはぴたっと重なった。「安くて贅沢な味」。そう、あのフィンガーチョコレートも、まさしくそれだった。

 1袋300円(本数は失念。10数本くらいだったろうか)の手軽さも好ましかったし、姿かたちの気取らない上品さも、何とも言えずよい趣きだった。でも、それにしたって、お菓子、ではある。なのに、この喪失感はなんだろう?

闇にたじろぐ

 悲しい、寂しい、という感情よりもまず、心にぽっかり穴が空いてしまったあんばいだ。私はこの喪失感の正体を謎解きし、言葉を与えようとしながら、なかなか叶わず、ここでキーボードを打つ手が止まったまま2週間以上も経ってしまった。この間、私は、自分の胸にあいた穴をまじまじと眺め、その空洞が意外と深いことに気づいた。

 好ましい、愛しい、と思うものが失われること。新しい出会いの可能性を信頼することより、失うものの方に強く意識がもっていかれる感覚。人生の残りの時間をぼんやりと思い、これからは失うことの方が多いのではないか、という恐れや悲しさなどが輪郭を現す。さらには自分が世界に参加し、作り手として何かを生み出すことには無力であるような疎外感までも。そして、ふとしたきっかけで断絶が起こり、疎遠になってしまった人たちのことなど・・・・・

 好きなお菓子への哀惜の思いは、意外にも、そんな胸の奥にうずくまる「闇」の場所に私を誘った。そこから立ち現れてくるものに、私はちょっと圧倒された。

 お菓子の話を軽やかに、楽しく綴って終わろうと思っていたのに、思惑は完全に外れてしまった。この「闇」の深さは、ひとつには自分が歳をとってきたことによる、蓄積された悲しさのようなものと関係があるのだろう。が、若い頃からずっと、この感覚はあったようにも思うのだ。

同じ世界線

 この「むなしさ」とも言える感情を処理しきれず、中途半端に脇に押しやったり、身近な人にもうまく伝えられず途方に暮れていたところ、ちょうど読み進めていた本に、むなしさと向き合う若い人の言葉があって、はっとした。書名は『「知らない」からはじまる 10代の娘に聞く韓国文学のこと』(サウダージ・ブックス 2022年刊)。編集者で執筆家でもあるアサノタカオさんが、娘の(ま)さんに韓国文学についてインタビューした記録と、お二人のエッセイで構成された本だ。

 ——この「むなしさ」は自分と同じ「世界線」にあるって思えるんだよね。

 チェ・ウニョンの短編小説「オンニ、私の小さな、スネオンニ」についてのインタビューで(ま)さんは、時の流れがどうしようもなく人の思いを変えていく、その「むなしさ」がリアルに描かれていることへの共感を語る。そしてK-POPにおいて「むなしさ」が表現されている例としてBTSの「Sea」を挙げ、上記の言葉を口にしている。「『Sea』みたいなこういうディープで闇っぽい歌詞のほうが響く」とも語る。

 このインタビュー当時の(ま)さんは、まだ中学生だったようだ。それほど若い人が「むなしさ」の表現に心を寄せていることが、私には驚きだった。そして、すごくいいな、と思った。気負いなく素直に「むなしさ」というワードが発せられている感じ。「闇」を感じることを避けずに、そこにとどまって感じ取っている感じ。自分の中の「闇」を排除せず、それも自分のものとして認めている感じ。そんな(ま)さんの言葉に出会って、私の中の「むなしさ」は世界の中に居場所を得て、少し軽くなったような気さえする。

 年齢を重ねるほど「闇」の扱いに慣れていきそうなのに、私の場合は逆で、「闇」を感じることにただただ恐れを深めていたようだ。そのことに気づかされ、「闇」に対して少し力を抜いてみたくなった。

海なのか、砂漠なのか

 ためしに「Sea」のFMVをYouTubeで視聴したら、非常によい。ここは海なのか、砂漠なのか? 希望なのか、絶望なのか? 本物なのか、偽物なのか?・・・・・深い靄がたちこめるような陰影の濃いサウンドをベースに、「希望があるところには 必ず試練が存在する」【注】 というフレーズが繰り返されていく。(ま)さんによると、歌詞はリーダーのRMの体験をベースに作られたという。なかなか成功をつかめず周囲から軽んじられ、失望を繰り返し、先の見えなかった時期のことが、具体的な詞となって登場する。

 いま見ている海、ここは本来砂漠だということを自分たちはわかっている、と言葉を絞り出す。希望と絶望が二元論では語られていない。「すべてのものは 同じもの ただ名前が違うだけ」。終盤の「希望があるところには 必ず絶望が存在する」というリフレイン。そして最後、「絶望しなければならない すべての試練のために」という囁きで、静かに終わる。

 コーヒーを飲みながら「闇っぽい」余韻が胸に広がるのを、ただ、じっと、感じてみた。不思議なことに安らぎのような感覚も生まれてくる。言葉にならない混沌をコーヒーの香りが包んでくれた。

 しかし、今日はあいにく甘いお菓子をきらしている。明日はぜひ近所のスーパーにカバヤのフィンガーチョコレートを買いに行こう。熱いコーヒーと甘いお菓子を相棒に、あらためて「Sea」の世界に浸るのだ。

(文:石田光枝〔キョートット出版メンバー〕)

「Sea」(アルバム『LOVE YOURSELF承 ‘Her’』2017年 所収)は、いわゆる隠しトラックのため、公式発表の歌詞(翻訳)は存在しないようです。文中で引用した「Sea」の歌詞は、アーミー=BTSファンの方々による複数の翻訳(ブログ等への投稿)を参考にさせていただきました。