第2回 ひとりであること

「かめろん通信」の巻頭言

 2012年から2013年にかけて、「かめろん通信」という小さな冊子(ZINE)を作っていた。2号までは友人とふたりで、3号からは私ひとりで制作し、たった4号で休止したままになっている。それがずっと心にひっかかりながら、自分の中のブレーキがロックされてしまったように何年もが打ち過ぎた。

 そんなわけで、久しくバックナンバーを読み返すこともなかったのだが、先日ふと思い立ち、創刊号を手に取ってみた。表紙には巻頭言が記されている。自分が書いたのに、内容は忘却の彼方。一読して、ちょっと驚いた。そこに自分の人生のテーマらしきもの、核のようなものが、すっきり、まっすぐ、言語化されていたからだ。一部引用してみる。

この小冊子を作っている私たちは、40代の女性です。
(中略)
私たちの共通項は、ひとりで過ごすことが好きで、それが性に合っている、
ということ。
そして、なるべく何かに属さないでいたいこと。
かといって「強い」わけではなく、ときに人とつながりたいけど、
とても臆病。

だからこの小冊子を流れるテーマは、「ひとりであること」かもしれません。
シングルであろうと、パートナーや家族と暮らしていようと、
どんな仕事をしていようといまいと、カテゴライズを越えたところでの、
ひとりの人間としての、自由な心の活動、すきまを味わう心。

孤独や不安も含みこんで、そこから世界を感じてみよう、つながってみよう、
という試みです。

はじめまして、どうぞよろしく。

 この数年間、生活のもろもろのことで不安がふくらんだり、ちょっとは落ち着いたりと人生のアップダウンをしのぐうち、巻頭言に記したような私の「核」は意識の底の方へと沈んでしまっていたようだ。自分を見失うとは、まさにこういうことに違いない。でも私の「核」は沈んでいただけで、本当に失われてしまったわけではなかった。かつての自分が紡ぎ出した言葉の連なりを眺め、今、じんわりとこみあげてくる、このあたたかいような感覚はそのことを証明しているのだと思う。

人とつながる、町とつながる

 ところで「かめろん通信」というヘンなタイトルは、カメの形をしたメロンパンに由来する。創刊間近のある日、商店街の喫茶店で冊子のタイトルを何にしようかとつらつら考えていた。「そういえば高校生の頃、友達と作っていた小冊子の名前は『かめのこぱん』だったなあ・・・」。友達の提案によるその名前は意味不明だったが、語呂が良くて気に入っていた。昔の記憶を思い出したちょうどその時、パン屋さんらしい人が店に勢いよく入ってきて、店主さんにカメの形をしたメロンパンを手渡した。

 「カメロンパンです!」というコメントが店内に響く。「かめのこぱん」、そしてカメロンパン。絶妙なタイミングでのカメ繋がりに、私はちょっと興奮した。カメロンパンかあ!・・・カメロン・・・そうだ、かめろん通信、はどうだろう。意味はないけど語呂がいい。それにカメという動物には、日頃から敬意を抱いていた。甲羅を干している時の、すべてを受け入れ達観したような横顔。だから、その動物の名が入るのはグッドだと思った。

 「かめろん通信」のそもそものきっかけは、「この人のことをもっと知りたい」と思うような出会いが身近にあって、インタビュー中心の冊子を作りたいと考えたことに始まる。有名かどうかや何かのエキスパートであるとかないとかは、まったく関係ない。その人が紡ぐ考えや生活、活動や仕事、居場所などが、この世界を味わい深いものにしているように見える・・・その頃、不思議とそんな人たちに出会い始めていた。

 「その頃」をもう少し具体的にいうと、私は40代前半。それより少し前、東京から結婚のため京都に移住していたが、離婚し、実家のある東京には戻らない決断をした。移住のときに当然勤めは辞めていたから、また一からの仕事探し、そして住まい探し。ここで長くは語らないが、就職活動は本当につらかった。2~3回のトライ&エラーを経て、落ち着いたのは大学の事務職。非正規ではあったが、事務室に自分一人という静かな職場環境が実に私に合っていたようで、ようやく一息ついたのだった。

 大学では非正規労働者のユニオンに参加したことで、学内外の面白い人たちと出会い、多様性を大事にする思想や活動を知ることになった。離婚からここにたどり着くまで満身創痍の自分だったが、少しずつ心も元気になっていった。海の底に足の先がトンと着き、つま先をバネに、もう一度浮き上がるように。

 そんなこんなで、再び世間へと踏み出したくなって思いついたのが、冊子の刊行だった。思えば十代の頃、地元のタウン誌が大好きで、商店街の店主さんのインタビューや、地元ゆかりの作家の随想などをワクワクしながら読んでいた。そんな記憶もよみがえり、私はもともとミニコミ誌のような紙媒体が好きだったのだ、とあらためて自覚した。編集そのものを仕事にしたことはなかったが、そういえば昔、東京で編集者講座に通っていたこともあったっけ。自分が好きなことや、やりたいと思うことは、細くても水脈となり、人生の必然的なタイミングで表に顔を出すものかもしれない。

 インタビュー記事のほか、書評や映画紹介も書いた。A5版、15頁、黒とグリーンの二色刷り。紙の知識はなかったから見本を取り寄せ、イメージに合うものを一生懸命探して、ざらっとした手触りのクラフト紙に決めた。イラストレーターよりも勝手知ったるワードで荒技的に版下を作り、地域センターの印刷機を借りてせっせと400部を印刷。気楽に続けたかったから、フリーペーパー(ゼロ円)とした。紙代と印刷代は自己負担だが、年3回程度の発行予定なので何とかなると考えた。

 そうして刷り上がった思いのぎっしりつまった通信は、自分が日頃から愛用する喫茶店や書店の店主さんに頼んで、お店の片隅に置いてもらうことができた。それだけで自分が町や人とつながっているような、嬉しい気持ちになったのだった。

孤独や不安も含みこんで

 さて、創刊号の巻頭言を綴った時から9年が経った。先ほど「自分の核のようなものが表れている」と書いたが、逆に、自分の言葉とは思えない!と驚いた部分もある。それは「孤独や不安も含みこんで、そこから世界を感じてみよう、つながってみよう」というくだりだ。

 孤独や不安も含み込んで、なんて、よくぞ言ったものだと我ながらびっくりしている。そして、ここ数年の私はいつの間にか「ひとりであること」から逃れようとしたり、孤独や不安に飲み込まれそうになったり、また、自分の中から孤独や不安を追い出そうと闘ってしまっていたのだと気づいた。その闘いは四六時中自分を休ませることなく、とてもしんどい。そんなしんどさが当たり前になっていたところに、孤独や不安を排除しなくていいんだ、というかつての自分の言葉は、一瞬で深く響いた。

 「かめろん通信」を休刊してから、昨年、キョートット出版のメンバーになるまで、私はほぼ非正規の仕事を繋いで生きてきた(大学職員は任期満了を機に退職した)。福祉施設の正職員になったこともあったが、鬱に近い状態になって1年で退職ということもあった。ネガティブなことばかりでなく、視覚障害者施設に通って点字を習得したり、出版社での校正の仕事を通して、自分のライフワークが文字や言葉に関わる世界であることを再認識できた時期でもあった。が、やはり見えない将来への不安、生活の不安に心は引っ張られた。「かめろん通信」で世界の見え方が広がり、元気になった自分だったのに・・・。こんなはずではなかった、という言葉を何度も飲み込んだ。

 離婚以来の、そんな低迷する時間をもう一度過ごし、孤独を憎んで、不安を嫌い、やっと今、ここにいる。この巻頭言は、そんな一周回って戻ってきた自分に、お帰りなさい、と語りかけてくれるようだ。あれ?と、なんだか憑き物が落ちたような気分も味わっている。懐かしい原点に戻ってきた感じ。同時に、新鮮な感じ。私はずっと、あちこちにぶつかっては沈み込む「カッコ悪い自分の人生」を否定していたのかもしれない。でも今、そんな人生を許そうとしている。そして、キョートット出版という新たな場所も、「カッコ悪いこと」を受け入れてくれそうな気がしている。

(文:石田 光枝)