安倍首相は、よく日本を体現している
安倍首相は教育基本法を改悪したときから、絶対許さないと思っているし、
https://kyototto.com/archives/93
小学生を持つ親などいろいろ大変だと思うけど、
学校を全部休みしてしまうというのは、いいな、
「かばん、くっそ重い」と悪態を、うれしそうについている中学生を見て思った。
そう私、学校行くのずっと嫌だった。
もう50歳になるのに、その頃の気持ちで見てしまう。
さて、
安倍首相は本当によく日本というものを体現している。
論理もなく、合意形成もなく、ぽんとやってしまうかんじ。
(私も実はそういうのどこか嫌いではない。これについては、今後内省的に考えたい)
安倍首相には、ぽんとやるにしても、多分必要な何かがなくて(たぶん、言葉への信用のようなもの)、それで幼稚に見える。または、(知性がある地点から見たら、)不可解に見える。
理が通らない。
理屈に合わないことは、
おそらく諸外国では徹底的に批判されるだろうが、日本では理が軽視されているというか、嫌われているので、理屈が合わなくていいいことになってる。なんでかというと、それは頭を使わなくていいから。思考しなくて済むから。さらに議論をしたりしなくて済むから。
これは、海外から見たら、本当に不可解なことだろう。
学校休校ならまだしも、これが戦争始めるだったら大変やな。
満州事変から日中戦争への流れ。
合意もなしにポンとやってしまう。誰も責任をとらず、辻褄あわせだけ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000146806.pdf
「大東亜共栄圏」とかも後付だったんだな。
邪悪なものだったとしても何か理念があった始めた戦争だったのではなくて、
戦線を広げたあげく、なんのための戦争なんだ?となって、作られた後付の理念だった。
2月韓国に行った。
大邱で感染拡大がわかって、3日目くらいだった。ゆるかった関西空港と到着した仁川空港との緊張感の違い。
「防疫」というものは軍隊のものなんだろうと気付いた。韓国ではSARSの経験があったからだというが、でも、朝鮮戦争はまだ終結していないわけで、生物兵器や細菌戦という想定もあり、「防疫」の体制が普段から作られているのではないかと思った。おそらく、中国とかアメリカとかもそうだろう。
「防疫」を謳いながら、細菌戦の研究をした旧日本軍の731部隊という実例もあり、戦争と防疫というのは体制として似ている。
韓国では、新型コロナに対して、目的が言葉できちんと説明され、それに向けて指揮系統もきちんとした体制が作られ、国民もボランティアなどで協力する雰囲気があるようだった。
もしかしたら、それは戦争もできるシステムがあるということかもしれない。
日本は、ぽんとした思いつきと、つじつま合わせのようなコロナ対策。そして市民に対して言葉で説明しなくてもよいふう。それは、戦争できる感じとは遠いイメージ。でも、よくないよな、たぶん。近隣諸国にとって大変な迷惑になっていくかもしれない。
そして、普通なら戦争とは遠いイメージで、戦争なんて無理な体制なのに、いや無理な体制だからこそ、戦争したりするのかもしれない。本当に厄介。
大日本帝国も、そうだったのかもしれない。
関東軍の独断で満州事変から長い戦争が始まり、上海だけのはずだったのに、各部隊が南京に侵攻していって、南京事件を起こす。
戦争放棄というのは、世界の理想だけど、とくに、日本に対しては課さないといけない。
韓国に行くと、やはり日本と比較してしまう。
文化的には似てるけど、違う、違うけど、似てる感じが面白いのだけど、
ただ、韓国はわりと世界標準というか、海外に出ていった移民も多いし、若い人も留学したり海外旅行をよくしてるし、国際的な感覚がある。その地点から見たら、日本、とくに東京はかなり特殊。
海外からみたら、日本というのはわかりにくい。
そのわかりにくいものを理解せざるえないことに追い込まれた、植民地時代の韓国のことを想像する。朝鮮半島というところは普通に、言葉を大切にし、つまり理を大切にする土地柄にかんじる。
それが、理を無視するような文化に支配されたことの不幸、このことはずっと考えていきたい。
本当に安倍首相はよく日本を体現している。
このことは、ネトウヨも同意するだろう。
本当に残念だけども、私も同意する。
とまで、書いていたら、
安倍がまた、無茶な決定。まったく理が通らない。
中国、韓国から入国者を2週間留め置くという。
防疫的には何の意味もない。国内では防疫などほとんどしてなく、ウィルスは蔓延してるのに、入ってくるひとだけ防疫しても意味がない。それもだいぶしっかりした防疫体制をとっている国から入ってくる人を。
中国ではここまでしてる。
https://creators.yahoo.co.jp/takeuchiryo/0200056742
防疫的に無意味なこの防疫をすることで、経済的、文化的、人的、、、のマイナスは、20、30、思いつく。また、防疫的に無意味な防疫を実施することの苦労も大変だろう。それは、本来必要なところからリソースを奪うことでもある。
理屈に合わないとは、こういうことだ。
かつての大日本帝国の戦争というのも理屈にあわないものだったのだろう。日本の特攻というものに出会った、アメリカ兵は不可解に感じたという。
理屈に合わない作戦を議論もなくやってしまって、その辻褄を合わさせられる。それは、考えてはできない。つまり知性は邪魔なものになる。
なので、仮に知性というものを持っていたとしたら、まず知性を捨てさせることから始める。かつての軍国教育とはそういうものだったろうし、今、安倍がめざしている教育もそういうものだろう。
現在、日本の防疫とは、こういうものであると安倍首相はよく示してくれている。それは、かつてそして今後行うかもしれない日本の戦争というものの姿も表している。
安倍首相は本当によく日本を体現している。
なんだか、諦めたくなるが、諦めてはいけない。
岩波書店「図書」1月号、Moment Joon さんの文章を読んだ。
「僕らの孤独の住所は日本」読んで、感謝の気持ちをもってしまった。
この日本社会を変えようとしていることに対して。あきらめていないことに対して。
そう、あきらめていられるというのは特権なのだ。感謝している場合ではない。 pic.twitter.com/IZuMdvkbRx— Ogawa Kyohei (@kyototto) January 6, 2020