自転車

中途半端に書きかけになっている文章がいろいろあり、少し手直ししてアップしていきたい。
以下、去年書いた文章。

去年(ということは一昨年)、クロスバイク(街乗り用のスポーツ自転車)を買って、乗っている。
今回初めて、タイヤを替えてみてびっくりした。乗ってみて、全く違う自転車みたいに変わった。振動の感じ、柔らかさ、地面にくっつく感じ、曲がり易さ、そういうことが変わった。自転車に乗っている時に、全身でいろいろなことを感じているんだということに気付いた。
自転車乗りの人たちは、タイヤを「履く」という。タイヤ=靴なのか? 靴を変えると歩くときの感じは変わる。靴なら触れるのは、足だけだけど、自転車の場合は、足、お尻、手といろいろなところで接していて、身体全体で感じることになる。そのことに気付いたのだった。理想の自転車像がうかぶ。たぶん、いい自転車というのは、身体になじんで、そして非常にセンシティブなものなんだろうと想像する。自転車にはまりそうな気がしてきた。
父も自転車が好きだった。

学校で担任が代わった時など、家庭調査票みたいなものが渡されると、いつも父親の職業欄に困っていた。職業をもっているように思えなかったからだ。本人に聞くと、「哲学者と書け」、「無しとかけ」、「文筆業と書け」、とか言われたが「自由業と書けばいい」ということにだいたい落ち着いた。しかし、「自由業」という言葉は、今もあるのだろうか? 自分が30くらいになって、自分の職業はフリーターとしかいえなくなって、ふと気付いた、あ、父はフリーターだったんだと。

(何ヶ月か前に、ここまで書いて放置したあった文章。続きにどんなことを書こうとしていたが忘れたが、続きを書いてみる)

父は細い、黄色い自転車に乗っていた。飯能の細田部落から我々が住んでいた羽村のアサノポールの寮まで自転車で来ていた。アサノポールは、多摩川と玉川上水に挟まれた土地にあった。玉川上水はここより少し上流から多摩川の水を引き、川原段丘の上を流れるので、福生の街から家へは、玉川上水を渡ると急坂となり、そこを下る。

父は、その自転車でその坂でスピードを出しすぎ、こけて大怪我をした。あー大変なことなった、と母が動転し、家がワーとなった印象が残っている。父は骨折をして入院した。かすかにお見舞いに行った記憶がある。

そういえば、母も、家に下る別の坂で、子どもを乗せたまま、自転車で転んだ、哲生も放り出されたんだったんだっけ。その道はダンプも通るので、本当に危ない。そのダンプのイメージと共に、恐かったような気がしてるのだが、痛かった記憶はない。私も乗って3人乗りだったのだろうか、乗っていなかったのだろうか、あいまいだ。

私も、自転車を買って早々、転んだ。スピードを出しすぎて、ブレーキを引いたら、ひっくり返った。ああ、父も転んだとき、そういっていたな、と思い出した。(ブレーキを引くことで、ひっくり返るという現象が面白くて記憶にのこっていたのだろう。いや、父はブレーキが切れたんだったけかな?)

その後、長野県の安曇野に引っ越したが、その夏、父を置いて、母と哲生と3人で飛び出して、練馬区のアパートに暮らし始めた。いつのまにか父もやってきた。父はボロいシャツを着て、それ以上にボロボロのシャツを破いて、それで自転車を拭いた。ビイッ破くのが面白くて、細長い布を作っては、自転車の細いところに通して、キュッキュッと拭いていた。そうするもんだと思っていた。なので、私も今、自転車を拭くときはそうしている。
当時私は小学2年生くらいか、ちょうどその時の父の年齢と今の私の年は同じくらいだ。

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