橿原神宮、天理教、イスラム教

橿原神宮の紀元節に行く用事があった。
行く前は知らなかったが、橿原神宮は、初代天皇の神武天皇を祭った、割と新しい神社で、敷地が広く、なんだか大層。明治にできた国家神道を表しているような神社だ。

行くと、本殿の前には大量のパイプ椅子が並べられ、ダルマストーブがたくさんあり、そこに4千人座っている。礼と言われたら、みな立ち上がり頭を下げる。
しかし、祭事の最中、祭神の神武天皇が来てることになっている時間でも、こそこそ雑談してる人はいる、という感じで、天皇嫌いの私でも遠くで何かやってる、というふうでそんなに居心地の悪くない。びっくりしたのは祭礼の途中、神さんが帰る前に、混むのをきらってか、どんどんと帰って行く右翼団体の方々の姿。
そこには信仰というものは感じられなかった。

ああ、国家神道というのは、人の役に立つことはないのだろう、と感じた。おそらく、人に命ずるだけ。(戦争に行かせて)人を殺すことはあっても、人を助けることはないのだろう、と思ったのだ。

橿原からの帰り、桜井で途中下車。
駅前に人は少ない、晴れてるけど少し風がある2月、マフラーを忘れたため、首筋が寒い。左手に細いアーケード街、横にも縦にもあり、古い立派な看板を掲げた店もあり、昔は栄えたのだと思う。今日は祝日のせいもあると思うが、ほとんどの店はシャッターを下ろしている。二三軒離れて、二軒帽子屋が開いていた。マフラーは手に入らず。自転車店ではお客さんと長そうな立ち話。肉屋の店主はあくびをしていた。
 
(近くにイオンがありそうだが、そこは家族連れで賑わっているのだろう)寂しい気持ちで、桜井線に乗り、のどかな山々(山辺の道)を見てると、車内の温かさもあり、うとうとする。天理についた。宗教都市ということで気になっていたし、また、駅前の巨大な広場の向こうにダイソー(100円ショップ)が見え、そこで首に巻くものも買えそうだと思い、降りる。

降りると「おかりなさい」との文字に迎えられる。

ダイソウの1階がオンセンド(格安で肌着や服を売るチェーン店)でそこで300円でマフラーをゲット、地下はカラオケ屋。そこから商店街が始まっている。まず、やたらと洋品店がある。ブティクというのではなく、1000円以下のものを前面に出しているような店。でも結構おしゃれというか、奇抜なデザインのものも置いている。あと、喫茶店がたくさん。なぜか文房具店、書店も多い、もちろん経典が充実。そしてお土産屋さん。こんな商店街がえんえん続く。桜井の寂れた商店街の後、こんなにお店が開いていることにうれしくなる。また、店を見ていると、天理教の信者の姿も浮かび上がってくる。

商店街を抜けると、広大な敷地、そこに大きな本殿がある。
入ってみた。
広大に大広間に、質素な神物(鏡?)、そこにぱらぱらと座って、三々五々お祈りをしていた。お祈りには繰り返し繰り返しの歌と簡単なふりがつくようだ。前にいる女子高校生の声がすばらしく、堂内にひびく。遠くで同じような歌を歌うの声が、幾重も聞こえる。それを切るような、独特のリズムの柏手を打つ人々。
正直に言って非常に美しかった。
繰り返しの歌には、祈りをかんじた。それぞれが、それぞれに神と向き合っている姿があった。私は無宗教だが、宗教とは本来そういうものだと思う。

私が宗教の意味を感じたのは、イタリアにいたときだ。
アフリカ系の人たちと共同生活をしていた。チュニジア、スーダン、モロッコ、国も宗教もバラバラだった。跪いてのお祈りとかしないし、酒も飲んでいたので、イスラム教を意識することはなかった。でも、よく、お前の神様は何かという問いを受けた。神様はいないというと、困った顔をされた。(今から思うと、宗教を持っていないと思っていたけど、どうも私はブッテイストだった。自然に対する考えや生命観などが、西洋にいると違うと感じるのだが、それは私が違う宗教感をもっているということだった。つまり、意識しないまま、仏教や神道の思想にどっぷりひたっていて、それが当然のものになっているのだった。おおくの日本に住んでいる人は意識していないだけで、ブッティストだ)

一緒に住んでいる人に、モロッコから来た青年がいた。一旗揚げに来たのに、病気で身体が不自由になってしまった。杖なしでは歩けなくなってしまった。料理がうまかったので、そこでは料理番のようになっていた。モロッコ風のクミンの効いたサラダ、アンチョビのフライなど、よく作っていて、私も作るのを手伝っていた。

テレビに、パリが映った。イタリアから見るとパリは大都会、彼は、明日そこに行くんだといった。えっと思った。次の日になっても彼はいつものままだ。それは、嘘をついたのではない。昨日の時点でパリに行くというのは本当の気持ちだった。だんだんアラブ系のコミュニケーション、そしてイタリアもだが、分かったきた。イタリアでは、すぐ意志の決定を迫られて困った。わからないというと向こうも困った顔をする。そうではないのた。その場の気持ちで意志を言えばいいのだ。それであとから、それを変えてもいいのだ。なので、あれ、彼は来ると言っていたのに、来なかった、みたいなことはしょっちゅうだった。それでいいのであった。

さて、彼は明るくしていたが、でも、辛いことが多いのは明らかだった。夜、話しているのが聞えた。彼が神と対話していた。涙を流しながら、神に問うていた。私は心を打たれた。彼は、それで考えを進めたり、道を探したり、納得を得たりしていくようだった。自分の中での対話を思考というなら、その高度なスタイルになっている。神と一対一の結びつきがあるから可能なことである。
イスラム教にとって本質は、一対一で神と対話することなのだと思う。(おそらくキリスト教でも)

天理教やイスラムが優れていると言いたいわけではない。
国家神道というものは、莫大な被害をもたらしたが、ひとりのひとりの人間にとっては何の役に立たない、どうしようもないものだ、ということが言いたかった。