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30日
キョートット出版

 〒615-0062  京都市右京区
 西院坤町126
 tel&fax 075-321-3834
@kyototto
BLOG
キョートットの本

30日朝、私は一番最初に靱(うつぼ)公園から排除されました。そのため、そのまま地下鉄に乗ったら仕事の時間に間に合ってしまった。
それは、よかったのだが、私はやはり抵抗が足りなかった、小屋の主のおじさんとスクラムを組んでいた、その腕の感触が消えずに残っています。

29日の晩、これから現地に行くか迷っていた。行かないと後継するな、とバタバタっとかばんに寝袋につめ、自転車を走らせると、京阪電車はちょうど終電車がでるとこだった。
深夜、1人、うつぼ公園に近付いていくと、向こうから集団で見守りをする警備員の集団、とっさに壁に身を隠す、もっと行くと、ジュラルミンをもっ た機動隊、あれー、もう始まったのかとあわててフェンスを乗り越え、公園に入り本部のテントへ、意外と簡単に行け、そこには多くはないが少なくもない人々 が座り込んでいた。見知った顔もあり、安心する。
ちょっといざこざがあって、100メートル先、くらいまで機動隊が来たのだという。
機動隊は去り、スクラムもとけ、みな、たき火にあたったりごろごろしたりする。静かに興奮している感じ。
朝までに名古屋などから応援が来たり等、人が増える。

2班にわかれるという、ほとんどの人は本部やその周辺のテントを人垣を作って守る班、あとは、公園の各所に散らばるブルーテント小屋で、小屋の中 で代執行を待つという住人に付き添う班だ。わたしは、8時に仕事のため出なくては行けないので最後まで付き添えるわけはないのだが、後者の班になんとなく ついてまわる。
大事な荷物を公園の外に出す引っ越しの手伝いなどもする。いい小屋でしょう、と自慢される。確かに、透明の波板などを利用してきれいに作られた小屋だ。うちは、立派で目立つのから、一番目をつけられているんだ、と語る。そして、まわりは、きれいに掃いてある。

うつぼ公園に先週最初に来たときに感じたのは、公園にポツポツとある小屋の、そのたたずまいの端正さだ。小屋には、竹箒などが下げてあり、まわりをきれいに掃いてある。
公園自体も大阪の古いビジネス街(かつて、日本経済の中心だったと思われる)に近い広めの美しい公園だ。ただ、新しくバラ博のために整備されたと 思われるところは、作り物っぽく悪趣味。公園の美しさを守るために強制排除反対といえるくらいだ。(このへんのこと、掃除と不法占拠について、丁寧に書き てみたいと思っています。)
(ばら博のために強制的なことはしないと市はいっていたのに、手のひらをかえすような今回の強制排除。しかし、大阪で世界ばら博覧会??、とい うかんじだ。かつて、長居公園でオリンピックを理由に大規模な排除が行われたけど、オリンピックは最下位落選。ブルーテントのせいではないだろう。大阪市 政は批判されているが、確かにつっこみどころは多いかんじだ。)

最後に、犬小屋を運んだが、犬・猫など飼っている人も多い。当然、動物を連れては施設に入れない。また、門限もあるので、野宿者の一番多い仕事で ある夜間のカン拾いの仕事も出来ない。10人部屋、一日一食という、大阪市の用意している施設に、(冬、テントも小屋も持たぬ人の一時しのぎにはなるだろ うが)、公園で暮らしている野宿者がだれ1人入らなかったのは当然です。

[この大阪市のシェルターについて記述は間違っているとの指摘を受けました。孫引だったため不正確な記述になりました。この件については、コメントに書きます。失礼しました。]

あるおじいさんは、自分の荷物をきれいにリヤカーにまとめて、その場で酒を飲んで、へべれけになっていた。飲まにゃ待っちゃおれん、というかんじに。

みな、自分の小屋に最後まで残って、代執行をむかえるか、みんなのいる本部で一緒に抵抗するか、心が揺れているようだった。

「来た!」 それで、公園の中央の木立の中少し丘になっている小屋へと走って向かう5,6人についていった。そこから、3人くらいが、さっき引っ越しを手伝った端正な小屋の方へ走っていったが、私は残った。
住人のおじさんに、ここは何年くらいですかときくと、一年くらい、といって、中を見せてくれる。もう、荷物は出してあった。小さいながら、床も玄関もあるきれいな小屋だ。おじさん、「もう、あけておこう、みんなにみせてやるんや」という。

ここからは、職員たちが入ってくるのがよく見えた。数カ所の入り口から、きれいに並んで入ってくる、安っぽく整備されたところをオリンピックの行進のように。ずっと入ってきて、ぴたっと止まる。みな、きれいな制服を着ている。万里の長城のように人々が連なっている。
いつのまにか、すごい数の報道陣だ。マイクを持ち、カメラをまわし、勝手なことをしゃべってはレポートしている。空にはヘリコプター。

あるおっちゃんが、ふらふら出ていって、長城のようになっている職員に「お前ら帰れ、」など、からんでいってる。前にうつぼに来たとき、30日は、つれをぎょうさんつれてくるからな、とすごんでいたおっちゃんだが、1人で絡んでいる。

わたしは、ここは、舞台だな、と思った。
「あー」と大声を出したら、意外と大声がでた。だまって長城のように並んでいる職員たちの前で一曲歌うことにした。
「サンタールチア」
大声を出すには、ナポリ民謡が一番。軽く礼をしてもどると、
コジマが、もう一曲、あれあれ、きんたまつぶし、を歌って、とリクエストするが、(往年の「猿」の名曲)、その歌は、もう忘れていた。あれを、歌 おうと、最近、TASKEとのライブでよく歌っている、ラブミーテンダーを、職員さん、一人一人の顔を見つめるように歌っていると、
「これから、なになにを始めます」、職員たちが行動を開始した。
どうも、ここが場所的に一番最初にやられるようだ。
猫が、どこにいっても逃げ場がないので、パニック状態になっている。かわいそうだが、どうすることも出来ない。おじさんによると、もう一匹、小屋の中で隠れてちじこまっているという。
とにかく、スクラムを組むが、百人以上押し掛けている中、3人しかいない。「闘おう」おじさん、いう。わたし、思わず、「3人で? 無理っすよ。」といってしまう。
「いや、いろいろゆうて、ごねて、ここで足止めさせて、本部に行くのを遅らせるんや」とおっちゃんに言われ、「はい。そうっすよね。」と答える。
が、「話できるやつ連れてこい」とおっちゃんがいっても、「撤去を始めるのでどいて下さい」としか言われない。おっちゃん、「話できるやつ、おらんか」と自問自答。
ぐっと押されて、私も「中に猫がおびえていますから、気を付けて下さいよ」とかしか、いえない。「これ以上抵抗すると、公務執行妨害になります」と言われ、おっちゃん、「つかまえるなら、つかまえてみぃ」というが、声は小さい。
ひとり、ひとり、引っこ抜くか、と私引っこ抜かれるのだが、そのとき、
すうっと引っこ抜かれてしまい、一度もおっちゃんと組んでいた右手に力が入らなかった、それが、一番の心残りです。
おっちゃんの腕には力が入っていた。その間を力の抜けた私の腕が抜けていった。ここを守りたいという気持ちに答えられなかったような気がするのです。

抵抗の一番わかりやすいやり方は、大声を出すことだと思う。言葉は実はなんでもよい。ひどい、でも、やめろ、でもなんでもよい。歌は歌えても、その場で大声は出なかった。
すっと、引っこ抜かれて、そのままあちこち連れまわされて、門から追い出された。知人が「ひどいー」と泣き叫んでいるのが耳に残った。
そのまま、駅に走ったので、その後のことはわからない。
なので、小屋を壊されていくのを見たわけでもなく、それを一緒にくやしんだり悲しんだりも出来なかった。

きんじハウスのことを思い出す。きんじハウスとは、大学の空いた建物を占拠してみんなで住んだりしたのだが、それが排除されるときは内部は崩壊し ていて、こんないいたのかという数の職員の前に、抵抗するというより、一緒に大掃除をしているようだった。しかし、空き地に荷物を全部、出されて、閉め出 されたときの無力感は大きかった。そして、その何ヶ月後、その建物は壊されるのだが、その時、集まってみなで悲しんだりすることも出来なかった。それが、 できるような終わり方だったら、違っていたと思うのだが。

今回のうつぼ公園では、私は参加できなかったが、抵抗があり、悲しみの共有があったのだと思う。そこには、希望がある。

仕事には間に合ったが、仕事に力が入ったのか、といわれると、うんとは言い難い。
2兎追うもの1兎も得ず、という言葉を思い出す。私の今までの人生において、この言葉は教訓にすべきで、そうだな、と納得はするのですが、これ、 すなわち真なり、とは言いたくない気もします。2兎追う、この心性にはリアリティーがある。(1兎も得ないかもしれないが、2兎追うことはしなければ得ら れないこともある、そう信じたいが、、)

仕事が終わり、駅で新聞を見ると、夕刊一面トップ、買ってくいいるように読む。けが人がでたようだ。(足を骨折)
京都に戻って、うどん屋に入る。
ネーミングで失敗している、と感じる店は多いですが、ここもそうです。かなり、おいしいうどん屋さんなのだが、店の名は、
「う・どん 百姓」
今、「う」と「どん」の間に点が入る理由がわかりました。丼もあるということなんだ。
マンガ「ヒカルの碁」がおいてあり、入り口の、普通なら花瓶に花などありそうなところに、足つきの立派な碁盤がおいてあることに気づき、びくっとしました。(私は、10代の青春を囲碁にささげた人間なので。)

お風呂屋さんに寄りました。何日ぶりかのお風呂。
ここは、昔、よく行っていた京都市が営業している銭湯(同和対策事業で)、昔は、百円ちょっとだったのに、今は他の銭湯とあまり値段はかわらな い。そのせいかお客が減っている、でも、年齢層に幅があり、(他のお風呂やさんには少ない10代の若者がいる)、ちょっと教育の場なかんじのある銭湯だ。
風呂の中で、うとうとしそうになる。
みな、今日お風呂に入る余裕はないだろうな、と思うと、切ない。
大阪市が、今日はお風呂に入ってください、と、風呂券、配ったりしたらな、と思う。
あの状態だと、野宿者や支援者は、「んなもん、うけとれるかい!」とか言ってしまいそうだ。
そのときは、私、大声を出そう。
「気持ちやないか。気持ちは受け取ろうではないか!」
法的にどうこうではなくて、人の住処を壊して、寒空の下でていってもらうことをすることについて、悪いな、という普通の気持ちの表明があったらな、と思う。
(寒い、少々雨の降る中、緊張の中、地べたに何時間も座り込んだ人々、今日お風呂に入っただろうか?)

ビールを買う。
まっすぐ、帰らずに、ヤモリの家に電話すると、ちょうど今日、大きな仕事の納品をしたところ、という、家に寄る。
一つの目的は、鍋、大きな、を借りるということだ。
あの鍋なあ、どうもみつからん、とヤモリは言う。確かに、台所にはない。
あっと、いうて、鍋は、一年前の誕生日会でもらったプレゼント入れにしたことをヤモリ思い出す。説明をすると、毎年ヤモリの誕生日は忘年会シーズ ンということもあり(というかヤモリの誕生日なので)、多くの人が訪れ、プレゼント交換をする習わしがあり、一昨年の誕生日会の日も、来た人からプレゼン トをもらうと、どんどんその大きな鍋の中に入れていたのだが、その交換をする前に、遅くなってみな帰ってしまい、鍋はそのままに一年がたったということ。
恭平のプレゼントが一番しょぼいというようなことをいいながら、プレゼントたちを出して、鍋を空けてくれる。
まあ、とにかく、1年以上、鍋として使われていなかったものなので、借りやすい。
壊すなよ、この鍋にはいろいろ思い出があるから。
どんな、と聞くと、今日は話さない、という。鍋として使ったときでないときの思い出が多いという。
それは、このぼこぼこに変形した鍋の姿から、容易に予想ができることだ。

ビデオを見る。
昨日の夜放映された、「二人のさっちゃん」というドキュメンタリーと今日の強制排除のニュースだ。オリンピックを録画したものの上から、録画されているので、少しオリンピックの開会式のシーンを見て、「二人のさっちゃん」が始まる。
副題は、今は戦後、それとも戦前。
1人のさっちゃんは、戦前治安維持法で逮捕され、今年、その名誉回復の裁判を起こそうとしていたおばあさん。もう1人のさっちゃんは知人のさっ ちゃん(マイミク)で、東京立川で、自衛隊の宿舎(団地)に反戦のビラを入れた、ということで逮捕され、長く拘留(3ヶ月)された上、起訴までされ、一審 は当然、無罪、だが、2審がこの前12月にあって、なんと住居侵入で有罪(罰金)とされてしまった。
別に家の中に入ったわけでもなく、ピザのちらしとかよくはいっているような、普通の郵便受けにビラを入れただけだ。思想弾圧といわれて、当然だろう。
立川反戦ビラ救援連絡会
http://www4.ocn.ne.jp/%7Etentmura/index.htm
さっちゃんのHP
http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=sacchan_mangostin
この二つのHPの印象のギャップがいい感じだ。
さっちゃんはぎゃははと笑う人で、その笑いはすべてをふっとばす気持ちよさがあるのだが、番組を見ながら、それを今か今かと待っていたが、なかった。あの笑いを聞きたいと思った。
番組の最後のさっちゃんの歌がしみた、さっちゃんのライブに行きたい、と思った。
立川基地監視テント村、名前はいかついが、さっちゃん以外の人の平均年齢が60才を越えるという、小さな人数でやっているデモ、そのひとりひとりのおばあさん、おじいさんの心意気を感じました。
そのあと、
うつぼ公園のニュースをみる。
昼の映像、朝もしゃぺって実況していたアナウンサーがしゃべっている。ずっとしゃべっていたのだろうか、と思う。でも、あまりよくわからない。
そのあと、なぜか、少林サッカーの最後の場面が出てくる。
ヤモリが、つながって見てはいけない、と思うが、つなげて見てしまう、という。

キョートット出版の話などする。

帰り際、鍋、よく洗ってから使ってくれ、とヤモリがいい、いわれなくともわかる、と答えたが、自転車に乗りながら、その言葉をまた思い出し、そう いえば、このふたもない鍋でいいんなら、うちのかねでできた、大きな洗面器のほうがきれいだしいいよな、と思うが、それは、去年さんざん足湯のために使っ ていたものだ。また、雑巾をしぼったりもした。
やはり、この鍋の歴史も知りたくなる。このとき、あのことわざを思い出した。
知らぬが仏。
知らぬが仏の鍋でおでんを作ろうと思う。ありがとう。

帰ると12時をまわっていた。長い一日だった。これを書くのに3日もかかったほどだ。

PS
2兎追うものは1兎も得ず、知らぬが仏、どちらも嫌いな言葉なのだが、はい、といってしまいそうになる。悔しい。

**********この記事へのコメント***********

うつぼ公園のことでたん気になっとったけんどんなんやったかだけでもここで読めてよかった。

2006/02/04(土) 23:59:40 | URL | えと

そ うか、やはり舞台か。

ぼくも、そういう場面になったら、舞台かな、と思っていた。そういう風に思える練習はお互いそれなりに積んでいるはずだけど、実際、 その場で恭平やコジマが歌を歌ったというのには、励まされた。代々木では、鬼が島で行こうかな、と思っています。まぁ、分からないけど。

抵抗で一番分かりやすいやり方は、大声を出すことということは参考にします。でも、心寒くなる光景を前に大声を出すというのは、難しいものだ。声帯がつまってしますから。ぼくは、普段からけっこう声を出すタイミングで失敗している。

きんじハウスって、少なくとも、恭平にとっては、大きな出来事だったんやねぇ。きんじハウスのことをもっと聞きたいという気持ちはあるねぇ。無理にということじゃないけど。

そのうどん屋のネーミングは、失敗かどうかは微妙。百姓って、言葉、最近のエコ、や網野善彦の新解釈とかで、なんか、スクッとした印象の言葉になっている気がするな。野村くんのバンドで百姓時代というのがあって、あれはやられたと思った。

そんでは。

2006/02/06(月) 16:50:35 | URL | てつオ

 

 

抵抗する体

 

恭平くんお疲れさま。
うつぼ公園の件、じつは同時多発で他の公園も襲撃されていたと聞きました。

俺たちはもう、幾度「強制排除」され、幾度スクラムをひきちぎられたんだろうか。
河原で、駅で、森で、自治寮で…。
本当に腹が立つ。人でなしどもめ。

現地に行けないのをとても申し訳なく思ってたんだけど、
恭平くんと社長が現地にいってくれてたんだと思うだけで、少し救われた気がするよ。

抵抗する体を奪おうとする圧力は、日常的にこの世の中にゴロゴロしてるなあと、最近思う。

逮捕されて保釈されたとき、ビックリしたんだけど、物理的に声が出なくなるんよ。
連日、ちょっと大きい声でしゃべるだけで怒鳴られ罵倒され続けるし、理不尽な細かい規則に順応できないのは「悪」とされ、また罵倒される。

それで、怒鳴られないように小声でずっと喋ってるでしょ。そうすると、大声をだしたい時には出ない体になってるんよ。
保釈された日、普通の大きさの声で喋ってるだけで、10分くらいで声がつぶれて出なくなった。

あとは、抵抗する事が恐くなる。それだけじゃない。警察に近寄るのさえ恐くなる。

でも、本当に恐いなあと思ったのは、全てが許可制の留置所の暮らしは、「管理社会」のモデルケースのように思われること。
路上で絵を書くのも歌を歌うのも許可制。ビラを配るのも昼寝するのも許可制。逆らったら懲罰。
実はこれらの制限や懲罰には法的根拠は何もないのに、自主的に順応してしまう人々…。

結局、自分で意識して「抵抗する体」を取り戻すしかないんだよね。
警官やガードマンには、なるべくちゃんと言い返す。
腹が立ったとき、声が大きくなるのは当たりだと自分に言い聞かせる。
そんなことを繰り返して、ようやくもとの自分を取り戻した次第です。

ちなみにテレビで「ギャハハハ!」と笑ってなかったのは、
取材期間が短くて、製作会社の人とあんまり打ち解けてなかったからです。
別に落ち込んでるわけじゃないから、安心してねー。

キョートットおでん鍋、くいてー!!!

2006/02/08(水) 19:19:01 | URL | さっちゃん

さっちゃんのいかもおいしそう。

抵抗できない身体にされてしまう、という話は、そうなのか、とリアルに感じます。それはもう暴力ですよね。
自分をちっちゃくされちゃう。自分というものがどうでもよいかんじにされてしまう。

みんなで楽しく生きていきたいです。
そういう世の中にしたい。

2006/02/10(金) 04:40:28 | URL | 小川恭平

こんなニュースを見つけたよ

胸が熱い。泣けてくるよ。
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ホームレス200人が座り込み=大阪のテント撤去に抗議-パリ

【パリ8日時事】
フランスの首都パリで8日、約200人のホームレスが日本の独立行政法人「国際観光振興機構」の事務所で抗議の座り込みをする騒ぎがあった。座り込みの参加者たちは、1月30日に大阪城公園などで行われたホームレスのテント強制撤去に抗議すると訴えた。
在仏日本大使館などによると、8日午前、日本語で「持たざる者」と書かれたワッペンを着けたホームレスがパリ中心部のオペラ地区にある同機構パリ事務所に押し掛け、大使館関係者に連絡を取るよう要求。床に座り込み、「連帯、連帯」などと叫んだ。
(時事通信) – 2月9日1時1分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-00000005-jij-int

 

2006/02/10(金) 14:24:17 | URL | さっちゃん

みんなひとりぽっち

管理人さん、こちらでははじめまして。さて、自立支援センターやシェルターのことについてですが。行政代執行の以前に、うつぼ公園から約10名の方が大阪城シェルターに入所されてるそうです。
わたし思うに、人生イロイロ、人間イロイロ。一人として同じ人間がいないように、ホームレスの状態にある人もイロイロで、行政の側の施設にもイロイロな人 がいます。大阪なら、三つの社会福祉法人がシェルターや自立支援センターを運営していまして、それぞれに歴史が違い、カラーが違います。

また、市から出向しているお役人さんもいれば、アルバイトの臨時職員さんもいる。そのお役人さんの中にも、他府県に住み、通勤していて、仕方なしに働いて いる人もいれば、そうでない人もいる。臨時職員さんの中にも、一生懸命な人もいれば、自分の手に余る問題だと思ってさっさと辞める人もいる。

ホームレス状態にある人も、行政の施設をうまく利用して畳に上がって落ち着いた生活をしている方も実際おられるのですが。

確かにネットや新聞の投稿欄での意見を読んでると、まったくホームレスの状態にある人への想像力を欠いたものを目にすることも多いのですが。

あのうつぼの公園の最前線にガードマンで仕事をした人の中にも色んな人(以前自分もホームレスだった人とか。。。)がいるんじゃないでしょうか。支援者の人のあの罵声(とあえて言いますが)は、そんなことの想像力が全然働いてないように見えたりもしました。

 

2006/03/02(木) 07:59:21 | URL | だしがらさん

 

 

大阪市

だしがらさん、
大阪市のシェルターや自立支援センターについて詳しく書いていただきありがとうございます。

私の方でも、大阪市の健康福祉局に電話して聞いてみました。
大 阪城公園のシェルター(一時避難所)には、事実上門限などないそうです。現在定員を大幅に少ない入所者なので、割とゆたっり使ってもらっている、とのこと です。(もともと何百名もいた大阪城公園の野宿者に入ってもらうために作ったもので、本当ならもう閉所する予定だったのだが、今回の強制執行のために期間 を延長しているとのことです。そして、いつ閉所するか未定とのこと。)
自立支援センターでは、門限はあるが、3食でるそうです。就職活動をしたりなど、技能を身につけたりするための場所なので、カン拾いなどの仕事は禁止されているそうです。(現在、希望者がすぐ入所できるのか、聞き忘れました。)

私の記述は、両方がごっちゃで、それも両方の悪い情報を合わせて書いてしまったものでした。

大阪市を悪く言おうという、意図がそこに含まれていたかもしれません。
大 阪市といっても、一枚岩ではないはずです。公園の管理をしている、ゆとりとみどり振興局、とホームレス自立支援をしている、健康福祉局では、立場が違うだ ろうし、だしがらさんの言うとおり、ひとりひとりの職員さんにもいろいろな考えがあるだろうし、またいろいろな境遇にあるだろう。

それ が、強制代執行のときのように、みな制服を着て、一列に並んで軍隊のように個性を消した感じであらわれると、ひとつのモンスターのように感じてしまう。そ れが権力というものの現れ方なのだろう。それを、わるもの、と一緒くたにみてしまうともう思うつぼ、モンスターを成長させるだけだ。そして、結局モンス ターとモンスターの戦いということになってしまう。そうなると勝った負けただけの単純な話、思考停止もいいところだ。

ホームレス側も、 ホームレスと一緒くたにされ、モンスター扱いをされている。それで、排除という発想が出てくる。いま作っている本は、モンスターなんかではない、そこに は、ひとりひとりの生活があり、人々が織りなすコミュニティーがあるのだ、という事を伝える内容も含んでいる。

それなのに、私は、向こうのモンスターを成長させる書き方をしてしまった。反省します。こういうときだからこそ、正確に書くということが大事なのだと思う。

私は、職員の人がモンスターのように現れたとき、歌を歌ったのだが、本当は笑ってもらいたかった。私はダンスを踊るときおかしい踊りというのをこころがけている。その成果を披露する時だったのだが、笑ってもらえなかった。(芸の未熟を感じるところです。)
例えば笑ってもらったら、モンスターでいることがもういいやって、ばかばかしくなる瞬間があるのではないか、と思う。
自分がモンスターにならない、相手をモンスターとみない、モンスターが人間になる瞬間を生み出す方法、このことはずっと考えていきたい。
だしがらさんの書かれている想像力という言葉もキーワードになると思う。

(戦争なんて、モンスターとモンスターにさせられて、殺し合いをするということだから。本当は、ばかばかしい、ってなる瞬間があるはずなのだか。)

PS
靱公園自治会の声明に、シェルターに入ることを選択しない理由が書かれています。
http://kamapat.seesaa.net/article/12868180.html

また、大阪市健康福祉局
http://www.city.osaka.jp/kenkoufukushi/sonota/sonota_20.htm

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