記憶の中の、たんぽぽの

父が死んで3日後、飯能市細田を訪ねました。(今年の夏の終わり)

30年以上前のこと、父は細田部落の茅葺きの家にひとりで住んでいたのです。

私の細田のイメージはいつもタンポポが咲いているところ。
春に行っても、父の家の前の森へ続く細い道は、黄色いタンポポがいっぱい咲いていて、
綿帽子になっているものもあって、ふうっと出来るのでした。
秋に行っても咲いていて、綿帽子もふうっとできるのでした。
花というものは、花が咲いて、枯れて、種が出来て一年終わりと思っていたので、いつもいつも咲いているのが不思議でした。
桃源郷のようなイメージです。
実際、沢沿いの細い山道を登っていくと急に開けるそこは、とても明るい山里でした。
かわいい畑とかわいい家があって、ほかほかしています。すり鉢のようにずれ落ちそうなくらい急勾配なのだけど、横にはしる道は水平なので、声をあげて走っても大丈夫。そこにたんぽぽがいっぱいなのでした。

去年の夏、実家に帰ったとき、家にあった青梅市の地図を広げてみると、一番上の端のところに細田、という地名を見つけました。
それで、細田のことを思い出したのです。もう廃村になっているだろうと思っていたのに、こんな身近なところに見つけてしまったという驚き。

母によると一度、父は自転車で行こうとしたらしい。でも道に迷って、夜遅く帰ってきたという。

私とてつオはバスを乗り継いでいきました。途中、都営バスから降りて、飯能から来る一日4本くらいしかないバスに乗り換える。そのバスは私の記憶にもあります。大きなバスが神業みたいに細い細い道を通る、しかし、溝にはまったりすると、乗客みんな降りて、みんなでよいしょとバスを押した記憶。
そのバスから見える景色は覚えがあるようなないような、のどかな山里を走って行きます。

終点はもう山の中の、谷間の小さな集落です。細田はそこから歩いて、険しい山道を登っていくしかなかったのです。
でも新しく細田まで行く車道が完成していました。車道を少しいくと、木々の間にぽっかりとあいた穴を指し示すかのような道標あり、昔の道がありました。

思ったよりその道は細く、隣を流れる沢ももっと大きかったような気がします。途中ちょっと横に入って蕗をつんだりしながら、何時間もかけて登ったような気がします、当時5、6才だった私たちには、大旅行だったのですけど、、、

15分くらい歩くと、ひょいと視界が開けます。そのひょいと開ける感覚はてつオも覚えているといいます。
あっけなく着いた細田部落、汗だくになりながらアブにおわれながら、記憶をたどるようにゆっくり登ってって行くと、
たんぽぽの道が車道になっていました。

それは、この部落の印象を大きく変えたのでしょう、でもこの道がたんぽぽの道だとすると、あの家が父の住んでた家だ、と予想できました。

そこには、アトリエ彫夢、という標識が掲げられています。

訪ねてみました。
広い縁側があり、向かいに庭、庭にある植物はだいぶ違ってしまったけど、ここに違いないと思いました。
縁側に寝そべっている男の人おり。奥には彫りかけの彫刻とノミなどがあります。
その人が、早瀬成憲さんでした。

声をかけると、自分たちが借りる前、物書きが住んでいたと聞いている、といいます。
奥からあかねさん(奥さん)もでてきて温かく迎えてもらいました。
いろりの話をすると、今は使っていない、といいます、薪ストーブらしい

なにやら、父の家はモノトーンでガラーンとした印象だったのに、

(走りまわれる、あるのは大きな机と原稿用紙、そして広辞苑、広辞苑に私らはよく落書きをした、でも怒られなかったようにおもう、たしか電気はなく、夜懐中電灯で家の中を照らすのが面白かった、そしていろり、十得になべを掛け何か煮る、焼き芋も、、、
だいぶ変わったけど、この広い縁側は一緒、そこに座ると、とてもゆったりとした気持ちになる。)

ガラーンから、にぎやかであたたかい感じになっています。
とにかく芸術一家です。あちらこちらに、成憲さんの彫刻がおいてあり、あかねさんの絵がかかっています。やわらかい表現。

(アトリエ彫夢)
http://akeru3.hp.infoseek.co.jp/

成憲さん、おだやかな感じでいろいろ語ってくれる。この家はもともとは蚕がかわれていたらしい、父のでたあと空き家になっていて、それを早瀬さんらが仲間とかりた、最初は大変だった、ここから、いろいろ旅にでた、、、

トイレにいくと、お子さんの描いたかわいい絵が飾ってある、子供たちはみな大きくなって他に住んでいるけど、みな芸術系の大学などにすすんでいるとのこと。小学校のときは下のバス停まで毎日歩いていっていたとのこと。

話をききながら、もうなくなっていると思っていた、30年前父の住んでいた家に、実は、
30年という時間の素敵な生活があったこと、
そのことに心奪われるようだった。
それは、また、早瀬さんにとってもこの30年という時間を振り返ることでもあったようだ。

(成憲さんのブログから)
http://d.hatena.ne.jp/hayase3/20070901

「しげちゃん、近くを案内してあげなよ、」というあかねさんの言葉。
成憲さんに連れられて、裏山に上る、ここは父と薪をとりにきた道だと思う。
少し、登ると原っぱになっているところもあって、一本おおきな果樹があり、よこに古びた墓石があったりする。遠く所沢、そして東京の街が見えます、ここに父のお墓があってもいいな、とちょっと思う。
(ここはもともと畑だったけど、最近ここをやっていたおばあさんが亡くなってしまったとのこと。)

成憲さんは会う人に声をかける。どうも、話題はお散歩マーケットのことが多い。それは、その日はこのへんの民家はお店になって、来た人は散歩しながら家々を訪ね歩く、という楽しそうなイベント。
http://kamibun.qp.land.to/
(早瀬さんから手紙をいただき、今年秋は、11月18日になりました、という。これを書きながらますます行きたくなりました。てつオは行くのかな。早瀬さんとこではカレーをだすといってたっけ。)

戻ってきて、手づくりの紅茶をいただく。ゆっくり時間がながれ、長居になる、なんか初めてあった方々ではないような、親戚のうちに遊びにきたような、そんな感覚になりました。

記憶の中の、たんぽぽの” に対して3件のコメントがあります。

  1. cheerme より:

    またよい日記をありがとうございます。
    わたしも細田に行ってみたくなった。
    「お散歩マーケット」!
    打ち合わせに犬も参加しているね。

  2. 小川恭平 より:

    cheermeさん、
    てつオや母は行くといっていました。
    たぶんいい天気ですよね、どうだったか是非聞いてみたいと思います。

  3. 小川恭平 より:

    今年も(2008)、早瀬さんからお散歩マーケットのチラシが届きました。
    http://kamibun.qp.land.to/eco/200811_sanpo_market_0.html
    秋です!

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