「この世界の片隅に」
すごい映画だった。見てから一ヶ月半経っているけど、思い出すと涙が出そうになる。
一言でいうとリアルだった。「空間」「時間」「生活感」がリアルだった。
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当時の呉、広島の空間。失われてしまったものが、浮き上がる。本当に丁寧な考証や聞き取りに行っている。そして、しっかりと地名が刻まれる。
私は、寅さんやトラック野郎で、大きな字幕で「網走」とか出るのが大好きだ。シン・ゴジラは私には、何も感慨を残さない映画だったが、ひとつ大きな字幕が多用されていたのは、良かった。
この映画では、大きくないが、しっかり地名が刻まれていく。
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そして、時間。これも、何年何月何日と字幕がでる。マンガと違い、映画なので、確実に進んでいく。日が刻まれていく。
見ている人は、1945年8月6日に何が起こったか知っている。これは、「あまちゃん」を思い出す。日常が綴られていくのだが、観ている人はその先に何が起こるか知っている。
その世界に入りこみ感情移入する、でも日付の字幕で一度引き戻される。この微妙な距離が、理性を一方でもちながらしっかり見るということを強いていた。
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こうの史代さんのすごいところなのだけど、その生活感や生活感情のようなものを、的確に描く。もちろん、実際に体験していない私がそれが的確かどうかいう資格はないのだけど、そういうことだったのかと深いところで、納得させる力がある。これは、希有なこと。
こうの史代さんのインタビューより
まったく知らない世界のファンタジーと、私は知らないけれども知っている人が確実にいる事実について描くのとでは、緊張感がまったく違います。だから当時の呉を知っている人に読んでもらうのは勇気が必要でした。
それだけに読者の方から「伝えようと思っていたけれど伝える言葉がなかったが、我が意を得た思いがする」「自分には身寄りがなく、寂しい思いをしているが、こういうものを読むと誰かが自分を見つけてくれるのではないかという気がする」といった感想をいただけたこと、呉の人に受け入れてもらえたのは本当にありがたかったです。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no277.html
前作、「夕凪の街 桜の国」で、
広島・原爆10年後の銭湯でのシーン、以下の独白が強く印象に残っている。
だいたいこの街の人は不自然だ
誰もあのことを言わない
いまだにわけがわからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは
あれ以来
本当にそう思われても仕方ない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々
気付いてしまう
ことだ
(p.16)
原爆後を生きるということが、どういうことか、これほど伝える言葉はなかなかない。
そして、これは、原爆が謝罪されていない、ということはどういう意味かを伝えている。
(絶対に、原爆は謝罪されなければいけない。いくら時間がかかったとしても、謝罪はされなければならない)
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さて、
この映画では、8月15日の表現が圧巻だ。ある出来事から、あんなに生き生きしていたすずさんが、感情を表出できなくなる。そのすずさんが、ここで感情を爆発させる。その気持ち、混乱も伴っているその気持ち、が伝わり、思い出すと私も大きく心乱される。
敗戦の受容について、「裏切られた」という言葉を聞いたことがある。すずさんの気持も、「裏切られた」になるのかもしれないが、この「裏切られた」というのは、単純なものではない。大きな大きな怒りなのだけど、それは自分自身にも向かっている怒りだ。
「裏切られた」「だまされた」、でも、それは自分自身をだましているところもあったのではないか?
そして、これは戦争体験をひとつ代表している感情ようにも感じる。
昭和4年生まれの父に、敗戦の受容についてきちんと聞いていなかったと思う。軍国少年だった父、敗戦後、昭和天皇に強い憎しみをもった父、なのでそれは一言でいうと、「だまされた」なんだろうけれど・・・。でもそれは、自分にも向かってきそうな「だまされた」で、それは、ずっと父の大きなテーマになっていたように思う。その世代の人間にとっては共通のテーマだろう。
すずさんは、父よりは少し年上で、見るところは見ている人だ。このときの気持ちはどれほどだったろう。
ひとつ前のエントリー「太平洋戦争のことが腑に落ちる」で「だまされた」について、批判的に書いたけど、もっと複雑なものだったはずだ。なので、父に丁寧に聞いておけば良かったと思う。(父の未完の小説「死の中」のひとつのテーマでもあったのかもしれない)
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東日本大震災・福島原発事故以来、「現在」と「戦争」が地続きではないか、と感じるようになった。
なので、先の戦争はどういうふうにやってきたのか・戦時下はどんなものだったのだろうか、と気になっている。
この映画は、感覚的にそれを伝えてくれるものだった。例えば、毎日、空襲警報が鳴るとは、こういう感じなのか、と初めて知った。
こうの史代さんのインタビューより
しかもいまと違って、共通の目標がありました。多くの人が「日本という国はいい国で、この文化を他にも伝えたい。この国に住む自分たちがよその国も幸せにするんだ」と思い、そうして他の国を侵略していたわけです。
いちおうは信じているものがあって、その達成のための工夫なのであまり苦に思っていない。むしろ、いまの時代よりも生活を楽しもうとする気持ちは強かったかもしれません。そうした努力が善いことだったのかどうかは別の問題です。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no277.html
戦時下の銃後の生活は楽しかったのような話も聞いたことがある。たしかに、すずさんは、とても生き生きしている。
「欲しがりません勝つまでは」というのは、異常なつらいだけの生活に感じる。なんで、そんなことを耐えていたんだと思う。
でも映画で、それが生活として、たんたんと時間にそって描かれているので、
「異常」と切り離されたものではなく、ああ、そういうかんじだったのだと感じることができた。ありそうなこととして。
日本国内にいて、戦地に行かなかったものにとって、戦争の悲惨がダイレクトに実感されたのは、空襲がひどくなった、1945年2月からで、終戦まで半年間だった。(それまでは、銃後にとって戦争の悲惨さは、赤紙で息子・夫を取られる、戦地から骨が帰ってくる、という形だった)
その間、中国で長々と戦争が行われ、たくさんの中国人を殺し、ついで太平洋の島々で日本兵がどんどん死に、ということが同時に進行している。
でも、戦争の暴力が実際の体験として実感できたのは、最後の6ヶ月だった、と知った。たった6ヶ月前だった、この時間的感覚を初めてこの映画で持つことが出来た。そして、それまでは、だんだんと高まる軍靴の音に、国民の多くにとって乗っていくことが出来たんだ、ということを感じた。
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映画では、マンガでは大きな存在である倫さんの部分が少ない。「この世界の片隅に」という言葉は、マンガではどちらかといえば、倫さんのことを言っているはずだ。しかし映画では、その言葉は、なんだか夫婦愛の話ともとれる感じで終わっている。原作ではそんな浅い意味ではない。これは、監督の限界なのかもしれず、原作ファンの人からは批判されるし、私も不満を感じる。原作の方がいろいろ深く、感想として言葉になりにくいことが含まれている。
しかし、映画は、色、動く、そして声などがプラスされ、感覚的に感じさせる力がとても大きかった。映画館という場の力も感じた。
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ここまで、広島ということに触れずに書いた。続きは、広島ということを書きます。