No Money Life を豊かにする
3月29日は、東京でチラシを配る一日、反貧困フェスタ、ネグリ東大、ネグリ芸大、をUnionExtasyの井上さんと一緒に回りました。
http://eel.seesaa.net/article/93232390.html
(井上さんの報告、確かに芸大のイベントは楽しかった!)
死ぬ思いで持ってきた2000枚のチラシは、帰りにはだいぶ軽くなっていましたよ。
チラシのコピーいろいろ考えるのです。今回、反貧困フェスタにあわせて用意したコピーが、No Money Life を豊かにするキョートット出版の本、というもの。
持ってくる途中、このコピー失敗したかな、例えば、
Exciting No Money Life、キョートット出版
の方がよかったかな、など。
(No Money Life を豊かにするという言い方、それは貧困を肯定的にとらえているようにとられて、反貧困とぶつかるのではと心配したのです。
でも反貧困フェスタそんなにせまくるしいイベントではありませんでした。(エノアール・カフェも来ました!)どこか、ビバ貧困のような気分もあるような感じでした(お祭りですから!)
次回は、反貧困フェスタと、ビバ貧困フェスタを隣あわせの会場でやってみるのはどうでしょう?
(反貧困とビバ貧困は矛盾しない、と私は思います。))
さて、No Money Life は貧困というより、自由(Free)です。
Freeは無料、つまり No Money です。
自由ということについて高校生のときよく考えていました。自由とは、ないということだな、とそのとき思いました。
いろいろ減っていくとだんだん自由になっていく。
でも、お金がないと不自由では、といわれます、それはそのとおりです。でも、この不自由の「自由」は「ない」の自由ではなくて「ある」の自由です。
「ある」の自由は嫌なものです。「ある」だからどんどん増やせる。
これは、自由というより力(power、権力)でしょう。つまり力のある人は好き勝手できるというだけの話です。お金ももちろん力になります。お金もちは、好きなようにできる、ということ。その力をみなが競争して得ようとしている、これが自由主義といわれているものではないでしょうか?、権力主義と言い換えたほうがいいと思います。
だんだん、No Money Life を豊かにする、というコピーいいように思えてきました。
豊かにする、の部分は、コミュニティーの話でしょう。
銀座であった、コジマラジオの公開録音で、武盾一郎さんが、自由という言葉でテント村のホームレス暮らしのこと語ったとき、小川てつオが自由だけど、自由というわけでもないと、語りだした。こんど、もうちょっと語ってもらえたら。