秋田の、まど枠さん
行ったことがない、一番行ってみたい書店は、
秋田の、まど枠さんだ。
今朝、バイト先の大学に来てみると、ガラーンとしている。創立記念日でお休みだった、間違ってきてしまったけど、このガラーンとした感じはどこいっても人の手の入っているよな京都では貴重なので、少しボーッとしようと思った。自販機で紙コップのカルピスでも買って。
秋田のことを思ってみる。
私は、今までたぶん3回くらい秋田に行ったことがある。
ずっと昔の夏休み、青森の方を野宿旅行(駅で寝る)をして、ぐるっとして、秋田に着いた。アポなしやったかもしれない、京都で知り合った人の実家が、街の本屋さんだと聞いていて、電話帳で調べて、急に訪ねたんだったような‥‥、たぶん私はボロボロやったろう、‥‥冬の雪のため入り口は高いところにあるのよ、なんて教えてもらいながら、素敵な家に入れてもらった。いい音楽を聴きながら、ウイスキーの水割りをいただいたような。
秋田のイメージは、(きびしさのようなものを感じさせる青森の方から来たせいか、)広々して気持ちいいところ、土地が豊かで、歩いていると靴底から地面の温かさが伝わってくるような。
2度目の秋田は冬、湯治宿をさがして‥‥
さて、この前、まど枠さんからCD-Rがとどいて、お気に入りの曲を5曲入れて下さい、とのことだった。
まど枠さんとのやりとりをしていると、それは離れた京都と秋田、それも会ったこともない人とのやり取りなわけですが、勇気をもらうというか、本をつくって良かったという気持ちになるのです。もちろん大層なやりとりではないのですが、理解してもらっている、という気持ちになり、それはうれしいのです。
商品(本)がつきました、といった連絡が、素敵な絵はがきで来たりする。素敵なひとこと添えられて。
(ひとこと添える、これは私もやってみたくなる。事務的なメールのときなど。でもやってみたくてもなかなかひと言がでてこない、結局でてこないままメールを出すのがただ遅くなる。)
ひとこと添える、そのこと。
まど枠さんのHPで、小川てつオ著「このようなやり方で300年の人生を生きていく」を売ってもらっている。
http://waltz.petit.cc/ → webshop → たび-trip-
言葉を添えられて、本が新しい表情をみせている。
(同じ本でも、本屋さんによって売り方が違うので、その本のたたずまいが違ってきます。それは所有格をつけたいようなかんじに。まど枠さんの「300年の」、ガケさんの「300年」‥‥のように。)
(以前も書きましたが、まど枠さんの「Dearキクチさん、」はとっても美しい。記事が古いのでなかなか見つからないかもしれませんが、ヒントは2006.10、ほれぼれしてしまいます。)
さて、CDは、まど枠さんの入っている建物の一階、ココラボラトリーさんの企画(listening)にあわせて、ということでした。50人のレコメンミュージックの試聴‥‥(告知遅いですが、秋田方面の方は是非。)
http://cocolab.jugem.jp/?eid=183
ちなみに、
私がCD-Rにいれた曲は、
吉田省念と三日月スープ、北から南
小林万里子、せんたくブギ
矢野顕子、ニットキャップマン
TASKE、さがみっ子ソング
メンボーズ、大正区
(テーマは川です。)
* 最近強く感じるのは、本に支えられているということ。今までだした本たちがキョートットに人を結びつけ、またキョートットを連れ出してくれるようなのです。
“秋田の、まど枠さん” に対して1件のコメントがあります。
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少し、書き換えました。
本を読む喜びと別に、本を買う喜びというものがあると思うのです。
amazonなどで検索してワンクリックで買うのは、便利だけど、ちょっとさみしい。(他のネット書店より、アマゾンは悩むことが出来る機能がついていそうですが。)
お気に入りの書店で悩みながら、店員さんや他のお客さんを少し気にしながら、または古本屋さんの店頭でふっと見つけて、など、いろいろな喜びがあるものです。
まだ見ぬ、まど枠さんでの買い物はどんなになるのかな?