過労死とカフェイン


風呂やサウナに入るのも、美味しいものを食べるのも、音楽聞いたり・踊ったりするのも、
それは、気持ちいいから。
気持ちいいのために生きている、気持ちいいのために生きるべきである、と考えている人間にとって、
気持ちよさの王様のようなドラックという存在を、悪であると簡単にいうことはできない。


もちろん、依存という問題がある。
気持ちよさは程度はあるが、依存を生む。場合によっては、気持ちよさ=「生」が、依存によって「死」につながることがある。この問題については、一生のテーマとして考えていきたい。

依存が悪いわけではない、おそらく依存が偏っているのが問題。
一つに依存するのではなく、いろんなものに依存する。
依存していることを認めること。


さて、
日本の法がドラックを禁じる際、依存を問題にしてだとは思えない。
身体的依存性が高く、暴力行為など様々な問題を引き起こし、多くの人を死に追いやっているアルコールが放置されているからだ。放置されているどころから、高い税金をとって、国はアルコールから利益を得ているわけだ。

ドラックを禁じる理由は、恣意的なことだと思われる。
ヤクザにお金が流れるからというかもしれない。
しかし、ドラックを禁じているから、ヤクザにお金が流れるのであって、禁じなければ、流れなくなるのは自明だ。自己矛盾なところがある。


なので、
本来、麻薬の使用について、罰される云われはない。
本来、罰することではなく、お願いするようなことだ。
ちょっとこっちの都合でなんですが、大変申し訳無いんですが、できれば、コカイン吸うのを止めてもらえないでしょうか。お願いしますよ、という感じのことだと思う。本来は。

麻薬を禁じるのは、その蔓延を恐れてるのかもしれない。個人にとって麻薬の問題は依存なのだから、
麻薬の蔓延を恐れるなら、依存の問題を真剣に考え、その点から法体系を改めるべきだ。


さて、
現在、一番蔓延しているドラックはカフェインだと思う。
日本社会において、アルコールがやばいと思う人が多いだろうが、私はカフェインが一番やばいと思う。

コカは鉱山労働者に使用していたというし、覚醒剤(ヒロポン)は日本軍で兵士に使われていた。つまり、それらは、無茶苦茶に人を働かせることに使われてきた。

それが現代日本ではカフェインに置き換わっていると思われる。
過労死。死ぬまで働いてしまう。もちろん、抑圧や強制などが主要因だが、死ぬまで働くことを可能としているのは、おそらく、覚醒作用の強いドラッグであるところの、カフェインだと思う。


私は過労死と聞くと、安部公房の小説「飢餓同盟」を思いだす。中学生のとき読んで強烈な印象を残した小説。たしか資本家のような人に、ヒロポンかなんか打たされて無理やり働かされて死んでしまう、そんな話だったような、、、(思えば、「終わりし道の標に」はアヘン小説だし、安部公房はドラックを扱う小説が多い。)


私はカフェをしていたことがあるから、
人がコーヒーを飲む前と飲んだあとでどれだけ変わるかを知っている。気づいていない人が多いが、カフェインには強烈な覚醒作用や興奮作用がある。
私はカフェインに過敏なので、よくわかるが、コーヒーは人をハッピーにさせる。動いていることが気持ちよい。どこまでもどこまでも走り続けてたくなる。しかし、カフェインが切れた時の疲れは大きい。それをごまかすために、またカフェインを取る。
カフェインにはかなりの依存性もある。


緑茶、コーヒー、そして、カフェインが大量に入ったエナジードリンク。
本来人は疲れたら、寝てしまう。疲れたら、身体が動かなくなる。
しかし、カフェインは疲れたことを忘れて、頭を、体を動かさせつづけてしまう。

過労死とは、おそらくカフェインのオーバードーズである。
(そして、オーバードーズさせているのは、会社である)