『ホームレス文化』(仮題)刊行にむけて<1>

 今、キョートット出版では、小川てつオさんのブログ「ホームレス文化」の書籍化に取り組んでいる。この夏の刊行を目指し、編集作業がようやく山場を迎えたところだ。

 「ホームレス文化」――奇妙なタイトルと思われる方も多いだろう。ホームレスとは、困窮のすえの状態を指す言葉であるはずなのに、そこに「文化」がついている……? このタイトルから、少しずつ解きほぐしていこうと思う。

 小川さんは現在、都内の某公園で、テントを張って住んでいる。一時的にキャンプをしているのではない。そこで暮らしを営んでいるのだ。その場所は小川さんだけでなく、「ホームレス」と呼ばれる人たちが集住している。住居はテントだったり、小屋型だったりとスタイルはさまざま。住民同士、ゆるく、あるいは密につながりながら、排除の危機や暴力的状況に直面しつつ、コミュニティをつくってきた歴史がある。小川さんたちはこの場所を「テント村」と呼ぶ。小川さんは2003年(当時32歳)から住み始めて今に至るから、もう20年選手だが、もっと長く住んでいる高齢の方々もいる。

 ブログ「ホームレス文化」は、2005年にスタートした。ブログのタイトルには、当時の小川さんの思いが詰まっている。
 

これからぼくが書くことは、テント村に暮らす中で考えたことだ。ぼくは、ある暮らし方が長年にわたって継続していることの中に文化を探りたいと思う。その暮らしを支えているものをさして文化と呼びたいのである。
(2006年7月16日投稿 <生き生きと揺れ動くテント村>より)

 
 以来、テント村での生活や、生活を守るための内外での活動等を綴り、20年の月日を重ねている。投稿記事数は現時点で207。20年分の数としては、多い方ではないかもしれない。が、個性あふれる住人たちが織りなす<いきいきと揺れ動くテント村>の20年にもわたる記録は、濃密で、ダイナミック‼ 書籍のタイトルはまだ決定していないが、メインタイトルは仮に『ホームレス文化』にするとして、サブタイトルは「小川てつオと愉快な仲間たち」にしようか、と半分冗談、半分本気で思うほど、そこには笑いがあり、コミュニティがあり、豊かさがあることが伝わってくる。余ったり拾ったりしたものを分け合う。テント前で毎週開かれる物々交換カフェでは、住人同士の他愛もないおしゃべりが繰り広げられたり、いっしょにご飯を食べたり……。

 しかし、もちろん、描かれるのはそれだけではない。時には襲撃などの暴力を受ける。周辺では、ジェントリフィケーションが進行し、福祉への移行を名目に、行政による有無を言わさぬ野宿者排除も起こっている。公園の夜間施錠や「排除ベンチ」などが象徴する管理強化(排除ベンチは悪意のかたまりとすら感じられる)が街を覆う。公共地も含めたあらゆる場所が、〈お金がなければ居られない場所にされてしまうこと〉に、小川さんは周囲の人たちとともに抵抗してきた。その活動母体のひとつが「ねる会議」。「寝る」場所を守る作戦を「練る」ための会議、というのが名の由来だそうだ。
 この社会のありようが、テント村で野宿者として暮らす小川さんの視線から照射され、そこから生きた思想も紡がれていく。

 だから、このブログを本1冊というスケールにまとめることは、まったく窮屈な作業に思われた。「ホームレス文化」から立ち現れる豊かさを損ねることなく、読者に橋渡しするにはどうしたらいいのだろう……。編集者としての自分の力量不足に足がすくむ。しかし、「この本は絶対に世に出されなければ」という思いだけは揺らがないのである。

 冒頭、「編集作業も山場を迎えた」と書いたが、この出版計画を知る人からは「山場が長すぎる」「やっとか!」などとつっこまれそうで、返す言葉もない。刊行を決めたのは2021年だった。下準備しつつ、編集作業にエンジンがかかったのは、昨年春過ぎ。小川さんとは、この数ヶ月、週1回のペースでミーティング(オンライン)をコツコツと重ねている。

 小川さんも私も相当な夜型人間で、ミーティングの設定は、だいたい夜9時スタートに落ち着いた。お互いビデオはオフにしているが、ふとオンになったときなど、暗いテントの中に小川さんの上半身がぼおっと浮かび上がる。テントは大型でしっかりしており、床にはコンパネを敷いているせいか、あまり寒そうには見えないけれど、冬の夜は着ぶくれた姿が映る。たまに、救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎていく。
 私は、テント村のしんしんとした夜の気配をスマホ越しに感じながら、小川さんと原稿について話し合う時間をとても貴重なものに感じている。描かれた出来事やテント村に住む隣人達――すでに離れていった人や亡くなった人も含めた話などを聞きながら、そこに根を下ろし、あるいは交差するように生きる/生きた人たちの営みが胸に迫るようで、そんなときは「人間の尊厳」という言葉を思わずにはいられない。その堅苦しいような言葉が、あたたかく血の通った言葉として、時になまなましいほどの実感を伴って、私の心をつかむのだ。

 ここで、小川さんのプロフィールに触れておこう。
 1970年生まれ。高校卒業後、詩、音楽、パフォーマンスなどの表現活動を開始。1989~90年、似顔絵の看板を背負って沖縄を旅する(このときの旅日記と10年後の再訪の記録を合わせ、『このようなやり方で300年の人生を生きていく[新版] あたいの沖縄旅日記』として2023年、キョートット出版より刊行)。「車内ディスコ」等のハプニングアートや、ゴミをゴミ袋に詰めて雑誌「燃えるごみ」として発行したり、95年には路上から双眼鏡で観るギャラリー「岡画郎」を共同で立ち上げたりなどを行う。
 97年からは、10日ほどで家を変えながら「居候」して回る生活をスタート。居候先の家主と筆談でおしゃべりしたものをまとめたフリーペーパー「居候ライフ」を発行し、生活と芸術の様々な試行を6年間行った。
 2002年、公園に8年住んでいるというブラジル人と偶然出会い、テント村を案内してもらう。当時は戸数も多く、「公民館」と呼ばれるテントを見せてもらったりして、その場所の面白さ、意外性に衝撃を受ける。
 半年後、自分も同じ公園に住み始め、テント前で、アーティストのいちむらみさこさんと物々交換カフェ<エノアール>を開き、現在も続けている。

 「居候ライフ」からテント村の生活へ。そこには、暮らしを外に開いていくこと――家族といった固まった関係性に閉じることなく、他者とゆるやかにつながることを志向しながら、暮らしの「場」そのものも開いていこうとする希求がある。その希求の内側から、所有とは何か、公共とは何か、というラディカルな問いが鼓動し、管理的で息苦しいこの社会に対して、不穏なノイズを発しているとも言えるだろう。そのノイズは、この社会でマジョリティとして生きられる人や、マジョリティの心性を内面化する人などにとっては、とても不快であるに違いない。

 と、少し分析的な言葉で小川さんをまとめるようなことをしてしまったが、そうすると、こぼれ落ちるものが、きっとあまりにも多い。なぜなら小川さんは、何かを表現するために、とか、伝えるために、あるいは思想やイデオロギーのために、その暮らしを実践しているのではないはずだからだ。暮らしそのものが、生きることであり、表現であり、遊びなのであり、そうとしかできない、というところで日々を重ねているように見える。それこそがアートだ、とも言えるが、アート、アーティスト、という言葉もなんだか陳腐で、色あせて見えてくる。

 ――初回はここで筆を止めよう。

 次回は、小川さんがブログを開始した経緯に触れながら、『ホームレス文化』編集の経過報告を続けていきたい。
〔キョートット出版 石田光枝〕

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