尾田栄一郎作「ONE PIECE」

ワンピースを読み出して、一年半になる。ワンピース、ずっと気になっていたんだが、ちょっと読んでこれははまるな、と自制していた。去年の6月毎日忙しく、そこから少しでも逃れたい、「長大な物語を少しずつ読みたい欲」が高まっていた。(ただし、自制の効きにくい私は、少しづつ読むのは苦手で、どっぽりはまって、その後の予定がおかしくなってしまうことが多い。)未読のアンナカレーニアや大菩薩峠でもよかったが、ワンピースに手を出した。いざ読み始めたら、ワンピースを読む時間を楽しみに日々暮らし、2週間くらいで最新刊まで追いつき、それ以来は毎週月曜日の少年ジャンプが待ち遠しい日々だ。

「ワンピースと共に育った」という言葉が無性に気になっていた。
 震災以降の世相は、やばいなあと感じる。右傾化が酷いし、ネットには「売国奴」みたいな言葉があふれる。不寛容の時代になってしまうのではないかと、とても不安だ。
 でも、ワンピース読んで、少し安心した。これが一番流行っているマンガであり、17年間連載が続けられ、何百万の読者がいるなら、日本もまだ大丈夫かもしれないと少し救いを感じた。ワンピースの魅力いろいろだと思うけど、どう安心したかをまず中心に書いてみます。

 ワンピースは一言でいうとアナーキストの物語だ。主人公ルフィーが素敵だ。おれは海賊王になる。そして「支配なんかしねぇよ この海で一番自由な奴が海賊王だ!!」

 日本には自由な無法者(アウトロー)の物語は多いけど、なんだか寂しそうな一匹狼が多い。木枯らし紋次郎、座頭市、子連れ狼。

 アナーキストの特長は、自由だけでなく、連帯。組織ではなく、人と人でつながる感じ。ワンピースの言葉で言えば仲間ということになる。
 ルフィーの船に乗るのは、麦わらの一味。他は何々海賊団と少しは組織だっているのに、麦わらは海賊なうえに「一味」とほんとにアナーキストぽい。

 ルフィーは、アーロンにお前に何が出来ると、問われて言う。おれは一人では何も出来ない。船にも乗れない、料理もできない、嘘もつけない。仲間がいないと何も出来ない自信がある。そして、そのルフィーが、船長なのだ。
 そのシーンの少し前、「助けて!」「当たり前だ!」という会話がある。この「助けて」はずっと10年近く、一人で闘ってきたナミが絶望の中での自傷を止め、いう言葉。ルフィーはその言葉を聞くまでは、全く行動しない。言われて「当たり前だ」と言って行動を始める。この説明では分からないと思うけど、「助けて」も「当たり前だ」もすごい言葉だ。相手の意志の尊重や、一人ではできない、信頼ということが描かれてる。涙しながら、勧善懲悪ものとは全く次元が違うすごい話を読んでいるなと思ったものだった。

 さて、新しい島に着くと、真っ先にルフィーは飛び出していく。私もワクワクするのでその気持ちはよく分かる。そして、一味みんな好きに行動してすぐバラバラになってしまう。しかしなんだかうまくいく。(ので、ワンピースの組織論みたい本が出るのもわかる。)
 日本にはアナーキストの物語はあまりないので、チームは組織だっている。そのうえおそらくダメな組織が多いので、結局責任のがれ、誰も責任をとらないための組織になっている場合も多い。組織の成員は問題のない方、怒られないを選ぶことだけを考え、それに必死、その結果、恐ろしいことになっていく。(それが、太平洋戦争、原発にまで、繋がっていると感じる)
 そういう中、責任感のあるリーダーがいて、みたいな組織や物語がもてはやされたりもするのだが、それはそれでいいのだが、、、。船長ルフィーは違う、好きにするだけで、命令はしない。そのかわり、一人一人がその場で自分の役割を判断して、それをする。そのとき、仲間の行動を勘案する。つまり、個は自立していて、責任と信用で成り立っている。アナーキーだ。

 さて、麦わらの一味、その仲間にはブルースがある。ブルースのあるやつが仲間になっていく。仲間が増える話にはいいのが多いんだが、ルフィーが仲間を一人一人オルグしていくのだが、もう船に乗るしかないという感じで一味になっていく。
 みなブルース、暗い過去をもっている。両親によって幸せに育てられました感はない。特に、ナミ、ロビン女性の一味の過去は強烈だ。孤独の中を逞しく生き抜いてきた。仲間に迎えられるということ、この意味がすごく伝わってくる。それは、家族でも、組織でもなく、恋愛でもなく。

 ワンピースともに育つ、それはとてもうらやましいことだ。
 麦わらの船は楽しそうなのだ。ナレーションがほとんどないので、読んでいると、一緒に船に乗っている感じがする。つまり、ワンピースと育つということは、「どこかの島で今も冒険しているだろうと仲間」を持つということ。

 ワンピースの中心の物語は、支配とその解放。色々な支配の形が現れる。力による支配、恐怖による支配、階級による支配‥‥。今のドレスローザ編の、ドフラミンゴによる支配はかなり巧妙なものだった。どこへ行っても、支配のあるところ、自由を愛するルフィーたちは、そこで解放のための戦いをすることになっていく。つまりアナーキストによる革命闘争となっていく。

 差別への目指しがある。女性キャラも平等に扱われていると思う、また、おかまキャラが重要な位置を占めており、ネタ的な扱いもあるが尊厳は持たれている。女性やおかまや変態がブルースをもって語られているかんじはする。

 魚人島では、差別と寛容が大きなテーマだった。うまく語るのには失敗したかもしれないが、「不寛容な者に寛容であれるか」という大きなテーマに取り組んでいた。攻撃してくるもの、差別してくる者に寛容でいられるか、これは、ヒューマニズムにおいて一番大きな問いだ。親・兄弟が殺されても黙っているのか? 戦争や軍隊を肯定するときに語られる理屈にどう対抗するか。(ただしルフィーはむかつくものは、ぶっ飛ばすというタイプだ)
 ワンピースの感動には、ヒューマニズムが打ち出されているのは間違いない。それをくさいという人もいると思うが、やっぱりヒューマニズムに感動するって人間社会にとって大事なことだと思う。この不寛容が広がっている時代には特に。

 ルフィーの行動にはあまり迷いがない。
 でもワンピースの世界は現実の世界に似て、善悪が単純ではない。海賊を取り締まるのが海軍だが、一枚岩の組織ではなく、いろんな人がいてかなり魅力的だ。海軍の偉い人は、「正義」と大きく書かれた白いコートを着ている。頂上戦争以前の3大将(通り名で赤犬、黄猿、青キジ)も、厳格な正義、ゆるい正義、どっちつかずの正義とよって立つところが分かれている。あまり、絶対的ということがない。敵だったのに、味方になるということもよくある。

 今は、ジャンプではドレスローザ編が盛り上がり、目が離せない。革命軍も登場した。左翼にとって、アナとボルの共闘は永遠のテーマだが、それが今後語られていくかもしれない。

 絵もいい。非常にリズミカル。きっちりではなく、好きなように描いており、気持ちいい。

尾田栄一郎作「ONE PIECE」” に対して2件のコメントがあります。

  1. みうらさつき より:

    お久しぶりです。元気ですか。
    「ワンピース」自制中です。
    よみたい。今日もテレビで見て、
    惹かれて、惹かれて仕方がない。

  2. kyohe より:

    みうらさん、ほんとお久しぶりです。
    ワンピース、また最初から辿っています。そこで、訂正です。
    ナミが自分の腕にナイフを突き立てるのは、単に自傷ではなく、そこにアーロンの刺青があるからだった。アーロン、アーロンと叫びながら、彼への憎しみ、その一味になっている自分への気持ちから突き立てるのだった。

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