「毎日あほうだんす」ということばが,毎日頭の中で鳴り響いている

高橋源一郎さんが、トム・ギル著「毎日あほうだんす」の書評を書いています。

「毎日あほうだんす」ということばが,毎日頭の中で鳴り響いている
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高橋源一郎さんは、30過ぎまで土方として働いていたといいます。

――つい一杯,焼酎を引っかける。するともうその瞬間から,眠くなってくる。本を読むのは明日にしよう……。でも,翌日になると,そんな気分はすっかり失せ,やがて,本とか思考とかそういった一切から遠ざかってゆく。なのに,西川さんは,その長い,日雇い労働者としての生活の中で,本を読み,独特の考えを深めていったのだ。

よく考えてみると、そういう高橋さんも、その生活の中で文章を書き、小説家になっていった。
「さよなら、ギャングたち」
高校時代、弟の小川てつオを文学の師と仰いでいた私は、彼のススメでこの本を読んだ記憶があります。このタイトルをここに書くだけで、本のイメージと共に当時の自分の感覚が蘇る、身体を風が通り抜けていく感じがします。透明で、繊細で。本の内容はほどんど覚えていないけど、イメージはしっかり残っていて、触れるとよみがえるようだ。音楽でもそういうことある、当時なんども聞き返していたパティ・スミスのラジオ・エチオピア、その一曲目のギターのリフを聞くと、高校生の自分の感覚がよみがえる。
「さよなら、ギャングたち」読み返してみたくなりました。

1990年、19歳のてつオは、沖縄の旅日記にこう記しています。

――吹っ切れないまま、無理してがんばっているような大江健三郎を、あたいはかなり好きなので、今後もがんばって欲しいと思う。作風は違うものの、大江の後継者とみている高橋源一郎は、何か本を出したみたいだけど、期待できそうもないな。
小川てつオ「このようなやり方で300年の人生を生きていく」p.58より

期待できないと書かれている本は、「ペンギン村に陽は落ちて」でしょうか。
ギルさんの本、高橋さんに読んでもらえたこと、うれしいです。

毎日あほうだんす