父とキューポラ

ここの庭には小さな銀色のキューポラ(焼却炉)がある。

実家は2年前に、東京都青梅市勝沼へ引っ越した。ここは東京都の西の端、平らな関東平野が終わりここから山に入るという地点だ。奥多摩の山々へと連なる丘の斜面に家があり、崖っぷちのせまい庭に立つと向こうの丘が見える。

てつオと母と私で父の部屋の片づけをする。
母が空いたダンボールを焼いている。銀いろの煙突から青い細い煙が立ち上る。

父は何の整理もせずに逝ってしまった。
急に倒れたのだからしかたがないのだけど、…物置の父のダンボールを開けてみても出てくるのはゴミのようなものばかり。昔1年ほど凝っていた陶芸のツボやらがいろいろ出てくるが、まだ素焼きもされていない。そして、それが割れいたり…、そんなものや、空の洗剤の入れ物などが丁寧に梱包されている。
60年書きためていたはずの原稿やら日記はどこにいったのだろうか?

燃やしてしまったのだろうか?
父はこのキューポラが好きだったはずだ。
父は火が好きだった。私がまだ小学校行く前に、父だけ飯能の山の中の細田というところに茅葺きの家を借りて住んでいた。そこにはいろりがあって、薪を割り毎日火をおこしていた。たき付けには檜の枯れ枝がいいと教えてもらう、それを入れるとバチバチ音を立てて炎があがる。
横浜の石井建設の寮に住んでいたときは、父は寮の風呂焚きをしていた。薪でだった。小学生だった私はよく炉の前にいって、父の横に座って火をみていた。一緒に芋を焼いたりした。

去年実家に帰ったとき、父が20才の時の詩だといって、私に見せてくれたと、このブログに書きました。そのとき父は昔の原稿を整理していのだろうか? そして、昔の原稿を焼いていったのかもしれない。

キューポラで原稿用紙を燃やす父の姿が目に浮かぶのだ。
(青梅での2年、父にとってどんな2年間だったのだろう?)

PS
父の部屋に原稿のたくさん入ったダンボールが一つ見つかりました。20年くらい前の原稿が入っているようでした。
20代の時に構想し、結局完成することのできなかった小説「死の中」の草稿も混ざっているようです。
(キューポラで原稿を焼いていた、というのは私の妄想でしょう。)

ちょくちょく実家にかえって、父の原稿の整理をしようと思っています。
(私、京都に戻りました。)

PS
父は作品を完成させることなく、また発表することもなかった。
それは、編集者に出会えなかったためでもある。一時、家族雑誌をつくるという形で、私が編集者をかってでたことがあった。でも、中途半端な形で終わってしまった。
日記の断片から、父のその小説に対する思いのまじめさを感じると、ああしまった、と自分の気持ちの足りなさをかんじます。
https://kyototto.com/archives/175

父とキューポラ” に対して3件のコメントがあります。

  1. 小川恭平 より:

    その原稿がたくさん入っているダンボールの腑分けをしました。もっとていねいにやれば良かったかな、という気もしている。(草稿の書かれた時をある程度特定しながら、とか。)
    小説としてまとまった作品の下書きとしては
    死の中、トッペイ物語、ニャン平物語、残された画集、砂丘、
    書こうと試みているものとしては
    24時間の男、消えた仙人、
    などがありました。

  2. 小川てつお より:

    あ、上のコメントは僕です。

  3. cheerme より:

    お父様亡くなったのですね。
    ご冥福をお祈りします。
    わたしの父はカメラマンで、12年前に亡くなりました。
    父が残した写真を、まるで整理せずにいます。
    恭平さんやてつオさんの日記を読んで、
    自分の親不孝ぶりを猛省中です。

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