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「テント村の朝」
キョートット出版

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キョートットの本

朝から行くよ、と言ったのに、やはり京都から行くと長居公園に着いた時には、もう10時を過ぎていた。

長居公園で大輪祭りがあり、そして、そこで、てつオが朝限定の展覧会をするのです。「テント村の朝」。
てつオは強制排除の前に描いたテント村の様子を、
そのテント村があった場所で、展示をするといいます。

私はステージの方には行かず、まっすぐテント村のあった方へ行った。馬に乗った人の像がある。こんなところだっけ。
ちょいとピクニックのようにシートがひいてあり、やかん、コップ、お菓子、そしててつオがいて、のえさんがいた。
写真をとっていく人、他、人がちらっちらっと立ち寄る。
シートの横にを見ると、ちいさな小枝が円錐状に組まれて、赤い紐で結んである。小さな小さなキャンプファイアーのよう。そう、そこでは毎日焚き火がされていた。
向かいの木には、3人のおっちゃんたちの顔が描かれた絵、このへんの奥に厨房の大きなテントがあって、前は食堂のように、テーブルがおいてあった。
立ち上がってあたりを散歩する。
絵はダンボールに描いてある。絵には、テントなどが描いてある。それが、木にもたれさせたあったり、かけたあったり。人懐こい犬の絵があったりする。
5、6回しかここを訪ねたことのない私でさえ、かつての記憶がよみがえる。
確かにあった、と感じられる。現在ののっぺりした風景とかつての生活感のある風景が重なって見える。

そこで生まれる感情は人それぞれ違うでしょう。それは懐かしい、なんてもんではなく、もっと生々しいまたは複雑ないろいろな感情。

てつオの展示に対して、もうテント村はなくなってしまったのに、そんなことをしてどうする、という批判は可能だろう。
強制撤去という暴力に抗せなかったとしても、でも、ここにあったテント村がなかったことにしよう、とするような力も暴力かもしれないのだ。

モニュメントというもの、記憶というもの、想像力というもの。

(これを書きながら、いろいろなことを考える。この夏死んだ父の墓をどうしようか。(てつオがつくるといっている)
また、沖縄の集団自決のこと。
集団自決を生き延びた人、従軍慰安婦で生き延びた人、被爆者で生き延びた人、はみんなかなりのおじいさん、おばあさんになっているが、死ぬ前になんとか自分の体験を語ろうとしていること。)

なんか気持ちいいなあ、と思ったら、横のベンチでおじさんがハーモニカを吹いていたのだった。そのベンチはたしかにテント村があったときもそこにあった。当時から、おじさんはそこで吹いていたのだろうか?
一曲吹き終わったとこで、のえさんと拍手する。おじさん振り返って、にっこりしながら、いい音だろといった。

てつオが泊めてもらっていた、オシテルヤに一緒にいく。鍋をしてる。何回か来ているてつオは、そこではてっちゃんと呼ばれていた。
てつオは高校ぐらいまで皆から、てっちゃんと呼ばれていた。この夏、家族で過ごす時間が長かったので、その呼び名がしっくりときた。オシテルヤの温かい雰囲気のせいかもしれない。

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comments
  1. てつオ Says:

    こういうことでもなければ早起きって出来ない。あんまし自信なかったけど、4時半に起きられた。外はまだ薄暗かった。準備をしながら朝焼けもみた。

    焚き火をしていたあたりの地面には、小さな炭が散らばっている。テント近くの樹木の幹には、ロープの跡が残っていた。(これは、展示を見にきた人が発見した。)。散歩道が作られ、街灯が立てられた場所には、そのくらいしか、テント村の跡は残っていない。

    祭りの前の夜に、元住人の人2人と、ここにあの人、ここにあの人の小屋、と場所を確定している時は、その人たちの中で記憶が甦ってくる(木などを目安にして)のに、立ち会っていることに、少し興奮した。展示でしたかったことも、そういうことだった。

    小枝を組み合わせたキャンプファイヤー(巧妙に火が燃える様子も菓子かなにかの空き箱で作った)は、タチバナさんが朝6時にやってきて作ってくれた。タチバナさんは、野宿している戦う詩人、、。

    ハーモニカのおじさんは、前の日にも吹いていて、当日もきたらいいなぁ、と思っていたら、ばっちり吹いてくれた。気持ちいい音色だったね。

    また大坂に行った時にやりたいと思っています。

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