第1回 小さな私との再会

あるツイートとの出会い

 ツイッターでは、途切れることなく、言葉の波が押し寄せている。

 私はツイッターとのつき合いは浅く、うまく使いこなせてもいない。しかし不器用にツイッターと関わりながらも、押し寄せる言葉の渦の中に、はっとする言葉、未来につながる思想、その断片、などを日々受け取っているのも確かだ。中でも最近はフェミニズム関連の、あるいはフェミニズムに根差した内容の発言に刺激を受けることが本当に多い。
 
 昨年のことになるが、あるツイートがタイムラインに現れ、スマホを繰る私の手が止まった。その内容をざっと要約すると・・・

 ――ある50代の女性がSNSに「中学生の娘に初潮がきました」と報告していて驚いた。親子の顔写真入り。多数の「いいね」もついている。もし父親が息子の精通をSNSで発信したらどうなる? 女性が女性のプライバシーを軽く見る弊害を考えた。男尊女卑を女が女に植えつけることは、身近に起こっているのかも――

海外在住の日本人女性の方のツイートだった。

 読みながら、私は不思議な解放感に包まれた。そのツイートは、自分がこの何十年もの間、モヤモヤとしたまま深層にしまいこみ、鍵をかけ、ないものとしてきた灰色の塊を浮かび上がらせるものだったからだ。

初潮をめぐる私の体験

 私は1960年代まれ。そのツイートで話題にされているお母さんと同年代の50代だ。この年代が子供だった時代、まだSNSはなかったから、自分の初潮をネット上で公表されることは、もちろん、なかった。かわりに、赤飯を炊いて家族で祝う、というイベントは普通に行われていたと思う(今でもそういうご家庭はあるだろう)。

 私は赤飯を炊いて祝われたかどうか、記憶はあいまいだ。それより鮮明に覚えているのは、私の目の前で母が父に、私の初潮を報告したことだった。もちろん「おめでたいこと」としてだし、さらっと一言告げただけ。そのさり気なさには、母なりの配慮があったと思う。父も特に大きく反応はせず、「あ、そう」という感じで、あっさりと終わった。たったそれだけなのに・・・。私はその時、なんとも言えない複雑な、いたたまれないような気持ちになったのだ。

 前述のツイートに出会うことで、40年ほど前の、この1分にも満たない出来事の記憶が甦ってきたのだが、「その体験は自分にとって何であったのか」を手持ちの言葉で表現するのは、ちょっと難しい。それでも、何とか言葉を探すなら、それは、自分の体がいきなりオープンにされたような恥ずかしさであり、もっというと、自分の身体が急に他者に乗っ取られるような、少し怖い感覚だったようにも思う。妊娠できる体になりました、という報告が、目の前で、異性である父に告げられる展開に、子供の私は本能的に、何かを侵害されたように感じたのだろうか。そのツイートの言葉を借りれば、侵害されたと感じたのは、私の身体にかかわる「プライバシー」だったのだろうか。

 事前に母が私に、初潮を父に報告したいということ、そして、どのように報告するのがよいか、を確認してくれたら、私の受け止め方は違っただろうか・・・。いや、仮に母からそんなことを確認されても、当時の私はただ困惑しただけだろう。正直に自分の気持ちを話したり、それがすんなり受け入れられる、という経験はあまりなかったから、「少なくとも自分の目の前でそれを話されるのはイヤだ」と本心は言えず、母の意向をあいまいに受け入れる感じになったと思う。

 イヤと言えないもうひとつの理由が思い当たる。父に報告されるのがイヤなのは、父が異性だからだが、報告されたくないと表明すると、父を異性として捉えていることも同時に表明することになってしまう。それは、何か気持ちが悪い。異性であることより、親であることが優先されるべきだろう。性別を持ちだして拒否したい自分は、間違っているのではないか。そんな感覚や思考が働いた気もする。

「産める体」は社会のもの?

 こうして綴っていると、記憶の底からいろいろな感情の断片がよみがえってきて、頭の中が混とんとしてきた。そこで身近にいるKさん(男性)に一部始終を話してみたところ、彼は、自己決定権の問題ではないか、と指摘してくれた。
 
 たしかに、その経験は、自分の体は自分のもの、という前提が、何か心もとなくされる出来事だったかもしれない。自分の体のことを、自分で語るのではなく、親とはいえ他者にあっさり情報開示されるというハプニング。急に自分の体が、自分の意志に関わらず、「産める体」として社会に差し出されるような感覚、と言ったらいいだろうか。

 生理が始まったことは、もちろん、恥ずかしいことではない。体の健康的な成長なのだが、家族間で、生理や性的なことをオープンに話し合う基盤や安心感のないところで、いきなり自分の初潮が「話される」ことは、やはり私には「恥ずかしい」ことだった。

 私の場合、報告が家族内だったのでオブラートに包まれた感があるが、SNSで発信されてしまった娘さんの場合、事態は深刻だ。娘さんが公表に心から同意していれば別かもしれないが、そうでないとしたら、お母さんは娘さんの自己決定権を、するりとかすめ取ってしまったことになるだろう。

 最近、生理のことを女性自身がもっとのびのびとオープンに語ろう、というムーブメントが起こっている。初潮をとつじょ赤飯で祝われたりするわりには、一般に生理について話すことがタブー視されたり、そのしんどさも煩わしさも女性が孤独に抱え込んできたのが日本社会だから、このムーブメントに心から共感し、希望を感じる。自分の体のことを自ら語る、という主体的な行為と、家族とはいえ他者がいきなり語る、ということは、まったく異質なことだから。

 男の子の場合、精通を家族で祝われたり、SNSで目出度いこととして報告されることはほとんどなさそうだ。同じ「子供」であっても、男女でそのへんの扱われ方には差異がある。

 生理が始まる、イコール、妊娠が可能になるということは、「おめでたい」ことに違いない。でも、それを特別に祝うことは、出産という役割をこの社会がいかに重く女性に課してきたか、子供を産んでこそ一人前というプレッシャーを女性に与えてきたか、を物語っているのではないだろうか(私は不勉強だが、そのあたりのことをテーマにしている研究者もいらっしゃるだろう)。まさにジェンダーが深く関わるテーマのはずだが、昭和50年代に小学生だった自分は、もちろん、ジェンダーの「ジ」の字も知らなかった。当時、周りの大人に自分の葛藤を打ち明けたとしても、理解されにくかったと思う。

女性であることにまつわる葛藤

 両親はただ、娘の順調な成長を、静かに喜んでくれていたのだ。それは真実だ。にもかかわらず、そうして違和感や抵抗感を抱いてしまう自分が情けなかった。褒められた人間ではない気がして、恥ずかしいような気持ちになったことも思い出す。その時、小学校高学年だった私は、自分の混沌とした感情を無意識のうちに「とるに足らないもの」として、ぐっと飲み込みこんだのだと思う。

 以来40年、その塊を深層にしまいこみ、封印してきたようだ。その1分にも満たない小さな出来事を、何十年も映像ごとくっきり保存していた自分に、少しびっくりしている。

 そして自分の場合さらに辛かったのは、その違和感なり抵抗感が、その後も、外側の世界に対する疑問や批判という方向に向かわず、ひたすら自分に向いてしまったことだ。周囲の大人の言動に対して「子供らしく素直に」なれない自分、鬱屈した感情を抱く自分をやっかいに感じ、一生懸命それを打ち消そうと、心の中で闘っていたのだ。子供の私にとってその葛藤は、やっぱり苦しかった、と今にして思う。

 このような、自分が「女性であること」にまつわる、家族や周囲の大人たちの何気ないふるまいを、子供の自分は受け入れようとし、しかし受け入れきれずに葛藤するということを、ずいぶん繰り返していた気がする。私はこのツイートに出会い、無意識の領域に押し込めていた、そんな小さな私と再会を果たすことができた。そして、今、やっと彼女に語りかけるのだ。あなたの声を、ずっと聞かないふりをして、ごめんねと。

呪いを解いていく私

 このツイートに登場する50代のお母さんも、ただただ娘さんの成長を喜んでいたに違いない。しかし、「めでたい」という衣に包んで娘の「プライバシー」を公表することで、女の身体は自分のものであって自分のものではない、という暗黙のメッセージを娘さんに渡していないか。その暗黙のメッセージには、産める体は「資源」のひとつとして「公」に共有されるものであると思わせるような、自己決定権を少女の手からするりと奪うような、そんな「呪い」が潜んでいないだろうか。

 こうしたツイートには、「なんでも女性差別につなげるな」とか「家族が心から祝ってるだけなのに」という批判や反発が集まりがちだが、幸いそこには共感のリプライが複数寄せられていた。そのことに心底ホッとする自分がいる。自分が葛藤してきた苦しさを、共有してくれる人がいると思えるから。

 女性たちを絡めとる呪いの罠は、幼い頃からいくつもいくつも仕掛けられている。しらずしらず握りしめていた苦しさに気づかされる瞬間。その苦しさの秘密が解かれる瞬間。そんな瞬間を積み重ねていけば、私は、いや、私たち女性は、もっと軽やかになれるだろうか。自由になれるだろうか。

 軽やかになることをあきらめないでいたい。だから、こうしてここで、文章を綴っていこうと思う。

(文:石田 光枝)