『300年』の編注について
小川てつオ『このようなやり方で300年の人生を生きていく』(以下、『300年』)には、それぞれの項目に、執筆した人の署名を付した、長い編注が付きました。
原画展のお話会のときに、藤本さんが「編注なしとか、客観的な編注ならば、きれいにまとまった本になっていたと思う。でも、この編注は、なにか飛び出ている」と話しました。
まさに、そう。本のまとまり(完成度)を崩してまで入れようとした編注はどんなもので、それはどうしてか、思い返しながら考えてみます。
編注の冒頭引用します。
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編注について(キョートット出版・小川恭平)
私が、この19歳の旅日記を最初に読んだのは、1989年、20歳のときです。著者がクロッキー帳に綴り、ちぎって沖縄から送ってきたものでした(それを当時友人らと作っていた同人誌に掲載しました)。読んで、こんな社会の踏み出し方があるのかと興奮し、勇気づけられました。
今回、再版した理由も、学校や親、社会からの抑圧を感じている若い人に「このようなやり方」で元気になってほしいというのが一番。したいことをする、したくないことはしないということ。そして、この本のもう一つの魅力は、そんな19歳を受けとめる沖縄の人々の姿が、著者の観察眼によってたち現れることです。人生の機微が伝わってきます。すべての人生を歩んでいる人に読んでほしい。
しかし、この旅日記は昭和の空気を吸って育った若者が主人公で、その時代にあったあからさまな差別が反映されています。
新版の刊行にあたり、説明が必要だと思われる箇所について(その一部についてではありますが)、編集(小川恭平/石田光枝)と著者で文章を書くことにしました。その中で差別についての姿勢も示すこととしました。各執筆者は、自分の問題意識を見つめ個人的に感じたことや体験を交えて語っていますが、三人で話し合ったうえで掲載しています。
日本では人権意識が希薄なまま、ヘイト本が出回り、差別が大手を振り、苦しい社会へ逆行しているように感じます。そんな現実を前に、この本にある差別を問題化して取り上げることは必要であり、意義があると思います。それが、この19歳の手による素晴らしいテキストに新しい命を与えることになればうれしい。
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私を興奮させた「このようなやり方」、それは言い換えると『自己決定』とか『自由』ということでもあります。(別の側面もあり、それは別項で考えます)
そういうことを若い人に伝える本が、あんまり世の中にないように思うのです。
私が小学校のとき、一番影響を受けた本は山中恒『ぼくがぼくであること』だったと思います。家出と冒険の物語です。そこには、「親や先生の言うことを聞くな」「自分のすることは自分で決める」というメッセージがあり、当時読んで、「これでいいんだ」と思ったことを思い出します。自由や自己決定ということを知ったんです。(これは、民主主義の基本となることなのに、日本の学校ではその反対のことばかり教わります)
『300年』の編集中に、改めて『ぼくがぼくであること』を読み返してみました。すると、今の時代となってはスルーできない内容も多く、ジェンダー面で引っ掛かるところが多い。とくに母親の描き方がひどく、この本を勧めにくいと思いました。「母親からの自立」=「男になる」的なかんじもあるようにも思われ、ジェンダー規範の固定化に寄与してしまいそう、、、
さて、『300年』も男の子の物語であることは否めません。しかし、そのこと自体が悪いことではないし、19歳の主人公が提示する「このようなやり方」、そして「自由」と「自己決定」といったことは、ジェンダーを超えた普遍性があるわけです。女性の描き方などに問題があるとしても、『300年』なら何か補えば、現代に生きる若い人に勧められる物語として再生することが可能ではないか。
『300年』をいざ意識して読み返してみると、差別的な表現や偏見、侮蔑的なもの、説明不足と思える箇所はいろいろあった。ジェンダーに関することのほか、沖縄本島南部の沖縄戦跡を訪ねているのに、沖縄戦についての正確な記述がなかった。それらをきちんと問題化しようと思っても、オノ・ヨーコさんのこと、沖縄戦のこと、知らないことばかりだった。そこで、本を読んだり、図書館に行ったり、ネットで調べたりし、考えて、著者も交えて3人で相談し、何度も何度も書き直した。
編注を書いている時に心がけたことに、説教にならないようにしようということがあった。取り上げたそれぞれの項目は、18年前の初版ではスルーしたことでもある。当時編集していて、うっすら気付いてても、目を閉じてしまったところもあるし、面白い言い方するなと面白がってしまったところもある。だから、そもそも説教するような立場に私はいない。それで編注では、1から考えて、主人公の19歳の青年、さらに読者と一緒に考えていけるようなテキストになればと思いました。
もう一つ、心がけたことがある。『300年』の中で、当時19歳の著者が、沖縄県平和祈念資料館を見学したときの言葉。「公平さに隠れた曖昧さを廃し、はっきりコンセプトを打ち出しているのが潔い」。これを実践しようと思ったのです。つまり、はっきりと意見を書こうと思ったのです。
しかし、平和祈念資料館にはっきりしたコンセプトがあるのは、沖縄戦の何十万人の体験、証言、多くの研究、活動や運動、があってのこと。中途半端な知識だけの私が書いてもよいのだろうか、と悩みました。やはり、きちんと知っている人、専門家に書いてもらった方がよかったのではないか――
原画展2日目のお話会で、編注のことが話題になった。
恭平:(編注を作る過程は)私にとって勉強になることだった。著者の旅を、別の視点で追体験するようなことだった。
(cf. 本文に、19歳の著者が偶然見つけたガマ(洞窟)に、少年探偵団の気分で入ると、千羽鶴を見つけ、ここでも何百人が沖縄戦で死んだのだろうか、と想像するところがある。調べてみると、そこは野戦病院となったガマで、白梅学徒隊の看護婦となった少女の証言があることがわかっていく)。てつオさんが19歳のときに予備知識のない中で経験したこと。別のところから少しずつ知っていくことには学びがあった。それが、多少でも出ていて、読者に伝わればうれしいと思う
藤本:そういうことか。編注、こういう事実があり、こういう背景があると、署名しない形で客観的に書くことは出来るはずだけど、この本では、執筆者の署名があり、普通これは書かないでしょ、みたいなことも書いている。例えば、オノ・ヨーコさんに対する侮蔑的な表現に対して、ルッキズムに関することなど書いてあるのですが、オノ・ヨーコさんがこういう作品を作ってた、こういうところがすごいと思うとか、普通そこまで書かないことが書かれている。それを読むことによって、執筆者の恭平さんが何かを得ていく、追体験するかんじが
恭平:ありました? それは良かったです
藤本:だから、変なんですよね、編注を読む時のかんじが。面白いんですよね。編注なしあるいは、客観的な編注だったら、すごくきれいにまとまった本になっていたと思うんですけど、、、なんか飛び出ているという、それがキョートットの本かなというかんじがしますね。
藤本さんにこんなふうに言ってもらったことは嬉しかった(安堵した)。読者と一緒に考えるような編注、そうならなかったのではという思いもあったので。