居候ライフ!について、(1998)

(居候ライフの最初の1年半、1号から15号についての小川恭平と小川てつオの筆談です。これは居候ライフ大全(1~15)の付録だったものです。)

1 号

てつオ(以下て)・この号は、創刊号ということもあって、たまに読み返すな。それもあってあんまり昔の事じゃないな。この頃たまごっちが流行っていたんだな。

恭平(以下き)・私は久しぶり、一年前に考えていた事って不思議ですね。

て・どこらへんが不思議でしたか。

き・昔といえば昔だけどあまり昔ではない。今とはっきりつながっていて、この一年、一年前にこう思っていたからこういう一年になったんだ、あっそうかというかんじがする。私についてもてつオについても。

て・ふーん、この中で「性の感じ」という言葉が出てきて、その時も今一つ分からなくて、今も分からないけど、気になる言葉だ。

き・そうだねぇ。今、そういう言葉使っていたんだと思い出した、いい言葉なのか悪い言葉なのか分からない、つまり「感じ」でいいんかというんか、「迷惑かけてありがとう」も新鮮なかんじがした。

て・「迷惑かけてありがとう」は、居候の事を話したりする時に、よく頭にある言葉だな。でも、この言葉について考えるというより、この言葉を使うときに備えてるという感じで頭にある。生活をさらけだす事について今は、どう思いますか?

き・正直、ちょっと忘れていた、居候ライフ、その生活はほっておくと謎だらけになってしまうから、まずいと思ってたんだよな、今、まとまらない。今、私、居候ライフ書いてないということも関係するけど、てつオは実践してる。

て・謎だらけか、いい言葉だ。でも、この時は、「自分の生活をさらけだす」というのが(居候の場合は特に)、自分に関係する人の生活もさらける事になるという事をちゃんと気付いてなかったな。また、さらけるという事に対する自分の抑制を感じる一年でもあった。今は、「自分の生活をさらける」というより、「自分と居候先の人」の関係を現す、という感じです。だから「さらけだす」という言葉は少し強すぎるな。

き・そう、そう、そう。ただ、迷惑を知りつつあえて実践もあるとは思う。暴力的かもしれないけど。

て・うーん。芸術は暴力的なものなのかな。でも、自分が迷惑をかけているという気になる事が、最近ない。(どっちかといえば喜ばれたり。)それは暴力的じゃなくなってきたし、その必要もなくなってきた、ということかな。自分の芸術(作品)も、暴力的なものからだいぶ変化しつつある気がする。

き・そうだね。いいことと思うけど、パンク好きだったことを思うと少し悲しくもある。

て・最近ヒロステバの「ひなぎく」を観て、ああパンクだなぁと思った。繊細な感じがパンクの感じで、それを思い出した。でも、そのパンクな部分は底流にはあって、それは今後どうなっていくんだろう。

き・パンクス イズ ノット デッド。

て・居候人の市民的権利や福祉について勉強したいと書いてあるけど、これはしたの?今日、一緒に役所へ確定申告をしに行ったけど。

き・ぜんぜんしていない。役所とか行くと社会に参加しているかんじがしますね。

て・やっぱり。あと、自分が、一人で作る作品も居候の中で作っていきたいと書いているけど、これはあまり出来なかったな。それに対して少しは、危機感をもってるなぁ。どうですか。

き・私も画家志望になったので、家・アトリエを手に入れたいと考えている、少し働いたりして少し市民的生活をしてみようという気分なのかな。てつオ、アトリエは?

て・アトリエはそれ程いらないな。ここらへんの事は、もう少し居候ライフをやって、そこでの泳ぎ方というか、そういうのがつかめないとうまくいかない問題なのかも、という気がしてきた。

き・なる程。そうね、私もまだまだ居候ライフには未練があるので、絵の修行をかねて、いろいろな家の物とか描いて、ほとんど描いたことのない静物画の修行をしようかとか考えたり、そう居候ツアーとはなんだったんでしょうか。

て・それ、やってないなぁ。居候ツアーというのは、居候先から居候先へとできれば居候先の人にも居候になってもらって、どんどん人数が増えていくツアー。これは、一つには、映像に居候を残したいという気持ちもあって。なんか映像に残すのも面白いんじゃないかな。

き・こじまさんも、居候映画とかいっていたね。

て・「居候先へ旅立とう」という感じ。このタイトルもいい。

き・居候ライフで居候が少しブームになってるような。

2 号

き・読み返して2号はそうですね。でもこの号はこわくて、あまり人に手わたす気がしなかった。よく分からないことを書いているからか。大きな愛は、恋愛とか親子のものとかをだいたい想定しとるんやろね。てつオが児嶋さんとか金井さんに怒られているのなんか最高ですね。

て・そうそう、少しエンターテイメント。でもこの時は、本当に腹立たしくかなしい気分になっていて、書かずにはいられないというのもあった。これを読んで児嶋は手紙をくれた。たしか「小川君がショックを受けているなんて思わなかった。私は小川君の悪口を言うのが大好き。悪かったけど、これからもどんどんいうつもりよ。」みたいな事を書いてあった。居候ライフをみただけの人は、児嶋さんが怖い人だと思う人もけっこういた。

き・私はとてもにやにやしました。居候ライフのメインキャラクターがこの号でだいぶ登場してますね。ごめんなさい。いやな言い方だな。

て・そうですね。でも倉田さん宅には、近頃全然行ってないなぁ。どうしているのかなぁ。恭平面の「生活をさらけだすのは、人の邪魔をしている気がする。」というのは、どういう事ですか?

き・それはさっき言ってた迷惑になるということです。でも邪魔という言葉の方がいいかも。実は私、邪魔はいい意味で使ったりする。

て・つかってますねぇ。居候ライフは、色々な疑問を投げかけていて、投げっぱなし、というのも少し感じる。

き・そう答えのでることでないし、答えをだすというのはどうなんやろ、自分の中ではある程度は答えがないと生きにくいけど、たくさんの難問にぶつかっていますね。てつオの「恋愛は無茶のとおる世界だ。」というのは名言で、よく思い出す言葉だ。私には、よく思い出すてつオの言葉はけっこうある。

3 号

て・恭平と山崎さんの筆談はスリリングですね。恭平と山崎さんの関係が徐々に浮き彫りになってくる。山崎さんの「人間けちってなんぼやろ。けちらんあんたは人間とちゃう。ほんまのけちんぼや。」ってきまってるなぁ。この前の恭平の筆談で、僕が「誠実」について考えていたのは、この事に近い。誠実というのを突き詰めるのは、誠実と反対な事かも、という。

き・誠実というのには何か変な感触があって、誠実であるということの不誠実さ、てつオ面で児嶋が雑だったと言っていて、雑であるのはまずいと僕とかも思うのだけど、それに対する金井さんの答えとかいいかんじだ。

て・難しいな。この時の金井さんの誠実さは、児嶋さんには、一方通行に思えていて、そう思う自分を雑にも思っていたんだけど、うーん、「誠実」とか「けち」とかは、二人の「間」にしかないもので、一人のなかで突き詰めようとするのは、変なこと。で、金井さんも、児嶋と「間」をつくろうとするのだけど、うーん、面白いなぁ。

き・もちろん「間」なんだけど、この山崎さんの言ってる見てる─見てないというのはどうですか、実際私に対する批判で人を見てないというのはよくあるのです。人をちゃんと見るというのが誠実さなのかな。

て・その前に、「人をちゃんと見る」というのはどういうことなんかな。関係を見る、関係の変化を見るということと、どう関係しているのかな。山崎さんの文章を読んだ時、僕も自分の事を言われた気がした。

き・そうだね、そうだね、その「人」には関係の要素がたくさんはいっているね。あとそれと欲望、又は性の問題。見たい、見られたい、これは欲望だから、その欲望の問題と誠実さはからんでいる。うん、まぁ、児嶋さんという人は人生をかんじますねぇ。

て・いきなり。丸太船をこいでいる、というかんじ。ところで、山崎さんと東京で住むという話もあるようですが。

き・そう、それで彼女が急に東京へ来たから、東京で家を探すためかと思ったんだけど、東京に住むのをあきらめるためというしよく分からない。

て・山崎さんの文章を読むと、山崎さんのまわりには風が吹いていて、それは、冷たい風であったり、たまに温かい風であったり、風を感じるな。

き・彼女の魅力がでてるなと思います。省略した部分もたしかに面白かった。なんかこの頃の私の居候日記は充実していて、他にもいい筆談とかあったはず。

て・山崎さんの「時間がはやくすぎてほしいから。」というのも印象に残る言葉だ。僕は、そんな風に思った事はないなぁ。いや、高校の時とか思ってたかも。

き・そのときは、その前の「影響されたいから」という言葉にピンときたんだよな。

て・そうだね。その言葉も、パッと言えるのは、すごいなぁ。そして、この二つの言葉の続き方もちょっとすごいな。山崎さんは言葉に出来る人だなぁ。

き・児嶋と金井の対談面白いね、二人がダメな対談だったといっていた(この号がでる前に)のだけど、どうなんだろう。

て・この対談の前に、実は一回録音していて、それをまとめるつもりだったけど、児嶋さんと金井さんが、あれはやり直したいと言ってきて、ボツになった。その時は、僕は、自分は快調に思ってたんだけど、児嶋さんや金井さんは、それが意地悪なインタビューと思ってたみたいで、たしかに、児嶋さんとか嫌そうな感じだったけど。で、二回目で、同じこと聞いたりして、僕はいまいちテンション下がったかも。その分キチンと聞けたとこもあり、まとめてみると、私が上手という事もあり、彼女たちも感心していたな。

き・私が上手ってなんですか。

て・まとめ上手。この尻の写真の入ってる場所とかも計算されてるなぁ。

き・そうですか、大沢さんは?

て・実は、それっきり。なんか行ってないなぁ。彼女は、ダンサーだったけど、なんかダンサーの人は、オープンな人が多いかも。

き・読み返してみるとてつオの文章は美しいねぇ。2月19日は非常に心に残ることが書いてある。

て・美しいというより、この頃は、読む人の事をかなり考えて書いている。

4 号

き・「居候ライフ」は面白いね。てつオ、今も花粉症で、この時も花粉症で、ちょっとおかしい。

て・昨年は今年よりもっとひどかったなぁ。恭平が男とセックスしたというのは、これで始めて知った。ちょっと驚いたなぁ。セックスについて、けっこうずっと書いてますね。

き・この頃の筆談は、性の話題ばっかり。それぞれの人がそれぞれに違っていて面白い。初めてある人とセックスするとき、その人がセックスについてどういうものと思ってるか分からなくてドキドキするのと近いかもしれない。今は、性というか、気持ち・恋愛とかに興味がある。苦手な分野だからかも。

」て・そうだね。居候するとだいたい必ずセックスの話を聞くな。部屋の模様替えは、橋本さんから何かいわれましたか?

き・喜んでいた。

て・部屋の真ん中にベッドがあるなんて、ラブホテルみたい。

き・そうですか。模様替えは興奮した。家がないとたいした買い物なんて出来ないではないですか、でも模様替えのために電気スタンドを買ったり棚を拾ってきたり……。

て・そこまでしたんだ。僕も、ゴミ捨て場から思わず拾って、居候先に置いたりもする。そうすると、たいてい壊れてて動かない。

き・しかし僕の考えたのとは(彼女が)違ったふうに部屋を使ったりしていて面白かった。前の部屋が前の部屋のようであった理屈が分かったり。

て・なるほどね。今はどうなっているのかな。前号で、山崎さんが部屋の中でこれがここにあるのが気にくわなくて、気が狂いそうになったりする、と言っていたと書いてあるけど、僕は、そんな事はないな。あと、木村さんも部屋の模様替えが好きだ。一緒に暮らしてたとき、それがけっこう謎だったな。

き・彼女は今日本にいません。そう、てっちゃんに説明してほしいのだが、歓待の論理ってなんなんだろう、考えたけど分からなかった。

て・なんでしょうね。でも居候も歓待される事があるよ。で、何で歓待されているのかは、よく分からなかったりもする。でも、歓待もすぐ非歓待になるようにも思うし、分かりません。

き・もう少し書いてよ。

て・だって、これ、僕が言ったわけでもないし、その人も何かの引用で言ったので、僕に分かるのは、寛容と歓待は違うな、という事ぐらい。

き・今二人で話したけど、何でもかんでも歓待するのは素晴らしいなという。寛容がどちらかというと倫理の土俵としたら、歓待は欲望の土俵なのかな。て・なる程。ゆうきの「家の鍵をもらうのは、心の鍵をもらうようなもの。」という言葉も印象的だけど、家=心、という風に思いますか?これは、模様替えが、「居候のタブー」という事にも関連してます。

き・いやあ、家=心ぽい人もいるし、そうでない人もいる気がするが。橋本さんはそれほど家=心ぽくないし、引っ越しが決まっていたということもあって、模様替えができたのかなと思う。

き・てつオの「言葉って相手の言葉を理解して自分の言葉を理解させるってのが目的で、勝ち負けじゃない訳じゃん。でも勝ち負けに使っちゃう。」は名言ですね。いろいろな場面で思い出す。

て・そうそう、この号は、★★さんには見せてなくて、それでもカットしなかったのは、二人の生活において重要な出来事であった事と、ここに書かれていた事は、二人の★★さんを通して考えた事で許可を取るべきものとは違うと判断したからです。でも、やっぱり見せて意見を聞くべきだよな。

き・児嶋の言葉、どうせ最後まで受け入れられないなら、始めから受け入れない人の方が正しいのではないか、というのには異論があって次の号に少し書いた。

補足…対談の中の「レズ」、対談の見出しの「レズビアン」、の使い方に関して恭平より問題がある、と言われた。ここでの「レズ」「レズビアン」という言葉の使い方は、「男たちのためのポルノで使われるような現実のレズビアンの人の手から離れた所で作られた貧しいイメージ」に、そのまま乗っかっている、という指摘である。また、女2人で生活する=レズビアンという発想も見え隠れしている、という指摘。それらは、全くそのとおり。様々な性的指向があり、様々な性の形がある、という事を読んだり聞いたりし始めたのは、自分の場合ごく最近の事である。この時は、そういう事はどこか遠い所を吹いている風だったのである。(居候が新しい性の形を考えるものにもなりえるのに)。この見出しにおける「レズビアン」という使い方は、全体の見出しの書き方から分かるように「わざと面白おかしく書く」=「週刊誌的見出し」の中で使っている。という事は、「貧しいイメージにそのまま乗っかっている」という事は意識していた事になる。もちろん、深い認識も、現実にそのような使い方がレズビアンの人たちを傷つけているのだとは想像もしていないのだが。同様に、この時も女2人の生活=レズビアンと思っていたわけではない。思ってないのに、わざと思ったふりをしているのは、何とはなしのウケ狙いであって、でもまさにそれこそがおそらく(例えばレズビアンを)傷つけ排除しようとしている「仲間うち」に対するウケ狙いという事になる。反省した。(てつオ)

5 号

て・大きな家パーティというのは何をしたのですか?

き・人をたくさん呼んで、家の中でバーベQをしたり、家じゅうに絵を描いたり、屋根の中でだるまさんが転んだ(坊さんが屁ーこいた)をした。

て・へぇ。テキサスさんはちょっと前図書館で本読んでるのを見たっけ。

き・このあとチュー大会はしましたか?

て・してないなぁ。今、思い返すと居候合宿は、ユメの中みたいで、やはりあんな風にはなかなかならない。恭平はしたの?

き・ないなあ。でもラクユウの最後の方はちょっと似てて、誰ともキスできるような。ヒマ人っていいね。

6 号

て・居候していいと言った人のところに忘れた頃とか電話する、というのは、何となく分かるな。

き・一ヵ月くらいしてね、それを過ぎると電話しにくい。

て・そうだね、大沢さんとか今更電話しにくいもんなぁ。でも、すぐ電話しないのは、なぜなの?

き・微妙ですよね。ひとつはそんなに困ってないという余裕をみせたい、あと相手に断りやすいように。いや、そういうのじゃなくて、二回目の出会いっていいじゃないですか。友達の友達くらいでちょっと会った人とばったり電車とかで会う。このばったりというかんじはいいですよね。このばったりと近いかもしれない。

て・ほう。鉄は、忘れた頃に打て、ですね。そうするといい響きがする。

き・はぁ。木村さんの日記や手紙が載っているけど、いいね。

て・木村人気はけっこう高い。あや昆布とか懐かしい。

き・歯みがきのための展覧会は?

て・それは、たぶんやらない。なんか話を聞いて満足した。

7 号

き・だいぶ居候ライフが波に乗ってるかんじですね。

て・というか、恭平の影響もあったのか、手書きになりました。居候先の人と共に作ろうという考えが前面に出てきた。しっかし、字が細かい。

き・この号のてつオのところ面白い。一緒に作った方がいいですよね。てつオとほたるさんの筆談読んでる方も緊張してしまいます。て・これは、ドキドキしたなぁ。しかも、これは、岡画郎の展示で作った観覧車(窓際に作られた動かない観覧車。お客さんは十分間座る事が出来る。下を通る自動車を見ていると動く気がした。)の中で、行った。心の居候か…でも、僕の心にもいろんな人が居候していて、ふとその人の仕草をマネしたり、マネするとその人の思い出が蘇ったりするな。

き・ほたるさん最近の「ライフ」には出てこないけれども…

て・あんまり会ってない。仕事忙しいらしいです。恭平はよく「政治」という言葉を使うけど、それはどんな意味で使っているのかよく分からないんだが。

き・ごめん、パス。いや広い意味で人と人とに働く力のような、それを変えようとするような。ここのところは恥ずかしいところもあるのだが、この時不法占拠(ばれないように)とかしてて興奮もあって、団交の方はてつだってないけど、大学の外の人とか東京の人にも読んでもらいたいという気持ちがあった。興奮している状態は危ないところもあるがたぶん好きなのです。祭りとか。

て・で、この問題はどうなったんですか?

き・いやぁ、立場によってとらえ方は違うけど、団交二回やって決着をみないうちに総長が変わってしまった。よく分からないけど。私はあまり結局どうなったか、というのを気にしないみたい。団交というのはそれだけで成果みたいなとこがあってそこからいろいろ生まれたのでは。

て・結局どうなったか気にしないというのは恭平らしいな。面白い。池本さんのミニコミ(ペラペラ)のインタビューに、「内容より方法が気になる。」と言っていて、それも同じ事かもね。このイラネナバーの事は、この時無許可だから詳しく書けないと言ってた。これは、どんなバーだったの?

き・ここも大学の建物を勝手に使ってたのだけど(そこに私は住んでた。)、きんじハウスのときと違ってみつかってなくて、こっそりこそこそだった、きんじのときバーをやった人がまたバーをやった。

き・てつオの面、前の号とがらっと変わって居候先との関係がよく伝わるようになったねぇ、いいよ。

8 号

き・この頃は3日ぐらいで家をかえてますね、きつくなかった?

て・どうだったかな。でも、この時は、まだなんか3日くらいが限界だった。気がせいていたのか。あるいは、次から次へという興奮を求めていたのか。今とだいぶ違ったな。

き・今はのんびりしてるものね。このTシャツ交換はナイスね。私もこのリレーなかんじのことできないかなっとおもってたからやられたと思ったよ。

て・Tシャツ交換は楽しかったよ。きっと今年もやる。そして、みんなもやろうぜ。

き・はい。父親の「芸術と生活はわけるべきだ。」という意見については?

て・僕は、わけないほうがいいと思ってます。それに、芸術と生活を比べる事は出来るのだろうか。生活の中に芸術は入ってるよ、わけたつもりになっても。どうですか?

き・芸術のない生活なんてね、誕生日の女の子と一緒に風呂屋に行って、男湯からハッピーバースデーの歌をうたうってやってみたい。ちょっと芸術のある生活というかんじだね。ただ、生活の芸術化、ロシアアバンギャルドの研究者にそういうことを試みた人たち、アバンギャルド芸術にはそれがともなうものですが、そういった人たちがどうなっていったかという話を聞いていろいろ思ったんだけど忘れてしまった。

て・じゃあ、生活はある芸術はない、というのはどうか。舞台で踊ってる人をみても、舞台の上で、生活しているなと思うとか。

き・思わないよ。いやたぶん生活では芸術はいつもはいらない。芸術ばかりだとうるさいから。ヤモリの言葉を思い出す。人は、詩人になるか画家になるかダンサーになるか…そういう時があって、それがないとやっていけない、いやだいぶ違ったかもしれないけど、そう言ってて成程と思った。

て・生活では芸術はいつもいらない、というのはまさに生活と芸術をわけてますね。

き・ああそうだった。生活は芸術だといえないかもしれないけど、芸術は生活だといえるということですか?

て・そうだね。だとすると、芸術という言葉はいらない。でも、言葉は、区別ないところに区別をつけるものだから、いらないのは当たり前でもある。でも、生活という言葉の中に芸術という言葉を解消できるという感じでは、居候生活をしていると実感したりするな。でも、それは少し不安だったり、危機感を持ったりもする。その危機感は、はじめでも書いた「一人で作るもの」もやりたいというのにつながっていて、だとすると、どういう事かな?

き・「一人で作るもの」って一人ライフの作品っていうことになるのかな?

て・でも、一人ライフなんてないよね。

き・そう、一人って思ってもよくみると性があるというのを前考えてたな。性っていうのは一人じゃない。なんか修行僧が世の中の関係すべて断ち切って一人山の中にこもったとしてもその人には性の問題はつきまとうということ。

て・うーん、お皿を洗うのと絵を描くのとは、どう違うのかな?

き・よく分からないけど、どっちが面白いかということじゃないかな、いろいろな関係性の中でどちらが面白いものとなるのかという違いはあると思う。面白いのかわりに美しいでもいいと思うが。

て・恭平は、芸術は生活にあるけど、その中で特徴もあるんじゃないか、と言ってたけど、その特色は、関係性の中でどちらかといえば面白いものもしくは美しいもので、固定はしていないという事ですか?

き・そう思う。さっきの不安感とか危機感って何なんだろうねぇ。

て・今、少し分かったような気もした。つまり固定できない、でも固定したいという不安かも。「一人で作るもの」は面白さや美しさを固定できる気になるから。

き・そういうことなんか、居候ライフもこう、「居候ライフ」を出したりして固定しているところもあると思うけれど。

て・でも、居候先を含め色んな人と一緒に作ろうとすればする程、色んな人の面白いと思うものが入り混じって、関係性の中で面白いものから、関係性と関係性の関係性の中で面白い関係性という感じで……よく分からない。でも、どっちにしろ形にしても固定したことにはならないし。だから、こうやって「居候ライフ」に対する筆談もできる。

き・なるほどねぇ。もう一つ聞きたいのは「河原で熱くサンタモニカ」で、主催者が主催者顔をしてないっていうのはどういうかんじなんだろ。気になって児嶋にもきいたのだけど。

て・かたちとしては、主催者側はあるけど、出演(店)者一人一人が、主催者になるという事。お金も無いんだし、現実的にも、出演者が係(僕はゴミ係)をやるというのも必要だったし。また全体のムード作りにもそのほうがいい。それがまあまあ出来ていた。児嶋は何て言ってた?

き・中心になっている人のところへ負担が集中してしまってあまり遊べなかったと言っていた。どうやったらいいんだろうなあ、と。

て・いやいや、確かにそうだったろうな。でも、とにかくさっき言った方向で努力していたし、方法も考えてた、それは周りで見てて分かったよ。あれだけの規模をはじめからこのような方法で、とりあえず出来たというだけで、いいなと思う。

き・うん。さてこの号は充実してますね、神長君の失恋トークがあって、テレビの取材、いいたいことをちゃんと文章にして伝えると言うことの力、重要性を感じました。

て・うーん、というか、自分の場合、その場その場でパッパッと言うのが上手ではなくて、そういうのがたまってしまって文章に書くに至るという事が多い。もっと、その場で言えるといいのにな。

き・僕もそうだ。

9 号

き・楽しそうな話がいっぱい、夏はいいねぇ。

て・いやあ、今年も木村さんと島へ行きたいなぁ。というか、たぶん行くだろうな。けっこう今から楽しみだ。

き・宮国さんの家もつんさんの家も楽しそうだね。

て・そうだね。また、それぞれ行きたいな。恭平面では、「アラーキー来るな。」というのが印象的。考えてみれば、アラーキー程批判されない人は、珍しいというか、だれも文句を言わないので。

き・ヤモリがその言葉に非常にこだわっていた。

て・僕も、ついつい、かわいい線をねらったりするな。

き・うん。そう、ただあとで、ヒッピーが私そんなこと言ってたっけと言っていた。でも、いい微妙な指摘だと思う。あと、長山さんに教えてもらってという書き出しでフロッグのことを書いているが、長山さんはそんなことを言ってないという。私の記憶違いと思う。フロッグについては、そこに書いてあるのはやはり一面的で、まず自分の体なのにまんこのことをまんこと言えない状況に対しては何とかしよう。自分の性器をとりもどすこと、まんこをとりもどして、まんこの話をしたりしてみよう、というのが出発点みたい。いろいろすみません。

て・宮国宅もツン宅も、僕が行く前から共同生活していて、そういう所へ居候するのは、かなり、一人暮らしのところに行くのと違う。宮国宅の場合は、その時鈴木さんという半居候の人がいて、その人と宮国宅の人々の関係は微妙で、多少緊張していたので、僕は少し疲れてしまったな。それこそ、宮国宅の人は、鈴木さんを沖縄的おおらかさで受けとめてはいたんだけど。

き・先に半居候の人がいるとその人との関係とか難しいときがあるね、お金のこととか。共同生活はお金のこととかちゃんときめてないと続かないからだいたい決めてあるけど、それと居候の関係、あと居候していいとか出ていってくれとかの決定を誰がするのかとか、どうするのかという問題。とか。

て・全くそうだ。けっこう難しいなぁ。でも、人と暮らす時の知恵を共同生活者は持っているという良さもある。

き・そう、そして楽しい。

9号・恭平面右側の訂正
「ヒッピーも指摘していたが」……ヒッピーはそんなこと言ってたっけと言っていた。
「長山さんに教えてもらって」……これは記憶違い。長山さんすみません。誰かに聞いたような気はしてるのですが、誰にかは忘れてしまった。

き・続くと書いてほとんど続いてないのでエメロンズナイトについて付け加えます。一番私がやりたかったことは、視線を逆転させること。ストリッパー・女の子=みられる人、おやじ=みる人、というのを。たとえば、夏ラクユウで私はよく全裸でいたのだけど、あまりみてもらえない、それはもちろん私の体に魅力がないということもあるのだけど、どこか、みないようにしようという力が働いている。つまりみることに慣れてない。逆におやじはみられることに慣れてない。ゲイの人が怖がられたりするのもそのせいがあると思う。だからね、ただ裸でくつろぐ場というより、お互いの体をみられたり、みたりし合うかなり恐ろしい場所・お互いがストリップしあう場所そういうのが、してみたかったのだと思う。いろいろ難しかった。

10 号

き・この号を読むとセックスをしたりしたのかとか気になります。

て・そうですか。でも、とりあえずパス。

き・この号は字が少し大きくてすがすがしいですね。

て・そうそう清水君の題字といい、気持ちいい風が吹いていますね。レイミさんマイさんが勝手に筆談を続けているのを見たとき、ああいいぞいいぞ、と思いました。こづちさんも素敵な人で、また会いたいなぁ。

き・恋人と別れて寂しいときとか旅行の間猫の面倒をみてほしいときとかだれでもいいから家に人が必要なときに呼ばれたりもしますね。

11 号

き・こうやってずっと読んできてるとてつオと木村さんの関係がよくみえてきておもしろい。

て・そうか。「隣にいる人」という事で最近思ったのは、なんか、縦の関係に身を置く必要がある時もあるという事で、もしかすると居候はじめた頃は、自分にその必要もあったのかもしれない。それは、「競合的←→相補的」というG・ベイトソンのタームを読んで思ったのだが。

き・よく分からない。

て・アル中の人の治療プログラムの話で、競合的な関係が相補的な関係(その場合は、神←→自分)に変わらないと良くならない(アル中に勝とうとしているうちはその思考の型がアル中を起こしている原因なので。)、という話で、居候先←→居候人というのも相補的で、競争とかの考えを解毒するには有効だったかも、その上でもう一度「隣の人」というところへ行った方がいいという事もあったのかな、という事です。

き・少しは分かる。

12 号

き・絵がたくさん。これはまたかんがえようのところ、三浦さんは分かったって言ってたけど、どこか、完全には腑に落ちないのでは。

て・でも、これが、ギリギリだな。

き・社会に対して言葉を発すること、いろいろな人がいるし、いろいろな考えがあるし、いろいろな関係のあるところへ対して言葉を発するのは難しいし、怖いし、どうかえってくるか分からないところもあるし、やっぱり覚悟のいることではあると思う。そういう場へ、ある人に対して発したと思っている言葉がほうり投げられてしまうことへの恐怖が基本にある。

て・そうですね。それは、金井・児嶋対談での「公平さは、個別性の前では通用しない事が多い。」という言葉にも関係してる。だから、ある人に対して発した言葉をごちゃごちゃにしないで、社会に投げ入れる方法というか、またある人に対して発した言葉も広くは社会から生まれているわけで。社会という言葉は、大雑把なのかな。

き・うーん。

13 号

き・駒場寮ですね。

て・そうです。ここも共同生活ですね。色々楽しかったな。恭平も最近駒場寮に行ったりしてどう思った?

き・実は昨日も行った。この号を読んで楽しそうだと思って気になっていたけど、日一日変わっているということです。春休みでちょっとがらーんとしていた。いろいろ大変だなぁと思った。

て・何が大変そうだった?

き・状況が大変そうで、いろいろな考えや思いの人がいろいろいて。きんじハウスのことなど思い出してしまって、駒寮については何も言えないかんじです。似顔絵をずっと載せているけど、てつオうまいですね。

て・ありがとう。似顔絵を描くというより、描くためにみつめたり、みつめあったりするのが好きなんじゃないかな。そんな事は、めったにないからね。あと、なんかそうしているとそこには、ある気分があって、でも僕の絵は、かわいかったりかっこよかったりしないから、そのがっかりした感じも少し、いい。

き・かっこいいよ。

て・この号も居候先の人が勝手に書いている所があって、それがうれしい。あと、最初の筆談の花塚さんの字が大きいのがおかしい。き・そうだね。この号は駒寮のルポ(ある瞬間の)みたい。実際に2週間住んでの密着ルポだからかんじが伝わる。完全とは思わんけど。

て・やっぱりそんな気持ちもあったな。「こんなところがあるよ。」というような。いつもは、「こんなところをつくった。」という感じかな。「こんなところがあるよ。」というルポとしては、不完全だよな。「こんなところをつくった。」という面でみれば、だいたいOKかな。

き・隣、だんだん話が盛り上がってきた。

て・暴れてきた。

14 号

き・居候ライフ読んで、出てくる人に会ってみたいとかいいかんじもするけどどうなんやろ。

て・どうなんやろっていうのは?本当は悪人という事?

き・やっぱりいいよね。というか、僕も居候ライフ読んで行ってみたいなと思って大内アパートとか駒寮とか行ったんだけど、来られる方はどうなんだろ、金井さんが私の家は居候ライフで居候なんでもOKみたいにみられているけど、そんなことはないと言っていたのを思い出した。少し居候ライフの書き方に問題があったと思う。でも出会いの場を作っているということ自体は素敵ですよね。

て・居候先の本多さんが、全号での居候先の花塚さんに会いたいと書いていたりするしね。僕を居候させてるからって、他の人もいいとは限らないというのは、書き方の問題というか当たり前の事。誰かを居候させてるからって僕が出来るって訳ではない。金井さんの場合は、居候合宿を金井宅でやって、その時は誰が来てもOKだったから、でもそれだって、それがいつもだと思うのは、おかしい。けっこう間違えやすい事だけど。

き・そうだね。でもやっぱり書き方の問題もあって、居候先に迷惑をかけないようにしたい。元気さんがそれをとても意識しているようで成程と思った。こっそり何かを残して行くって私もやっていた。去る時は大切ですから。

て・たとえば、どんな物を?洗濯物とかですか?

き・ありがとうの紙とか。食べ物とか。洗濯物と、歯ブラシはよく忘れるけど、それは別です。僕は自分で洗濯して乾くまではそこにいる。

て・僕は、洗濯物を置いていく事も多いなぁ。あと、歯ブラシを首から下げているのに、すぐ忘れる。次に来た時の自分の歯ブラシとの出会い、けっこう好き。

き・は、は、は、は。

て・個人に対してだけの作品というか、その人だけのための作品って、手紙とかもそうだけど、こっそりアートもそう。今、精神的にまいっている人に手紙を書こうとしていて、そういう時に力を持たない芸術家って何なんだろう、うーん、そういう時にこそ力を発揮したいとも思うのだが。

き・どういうふうにしたらいいんだろう。

て・分からないな。何かするという事自体が大切という風にも思うけど、それも不明。やっぱり、人と人の関係のモデルというものが分かってないと、どうすれば力を発揮するかも分からないのかも。

き・一般的には語れないですね。前に書いたヤモリの言葉は(詩人になったりするときが必要というのは)そういった危機の状態での話だったと思う。

て・ヤモリが言うのは危機の状態では、自分のための作品をつくるという事ではないと思うけど、どういう事?

き・いや、だいたいそうではないか。そう思い出してきた(7年前くらいの話)、自分が詩人だと思えるとかそういうかんじの言い方だった。

15 号

き・居候日記は誰でも見れるようにしておくんですか。とても自由にみんな書いていてとてもいいと思ったので、私にも実物をみせてください。

て・そうですね、たいてい部屋の中へ放っておいてあります、それにノートじゃなくて紙切れなのでみんな見やすいのでは。

き・そうなんだ。

て・僕もいい感じだなと思う。だんだん居候先の人と作る居候ライフというのが形になってきたかんじ。でも、それには、技術みたいのもいるんですね、きっと。放っておき方とか。

き・なる程。居候ライフの技術ですか。

て・そうそう、居候するのにも技術はいるけど、居候ライフを作るにもまた別の技術がいって、それは文章一つとってもそうかもしれないけど、それだけでなく。で、居候先の人も居候ライフを作る技術が向上してきていて、という事だと思う。それで面白くなってきている。

き・ああ、また居候ライフを作る技術の向上が居候をすることさせることに役立ったりするかもね。

て・ザッツライト。あと、サイトウ宅に居候していて印象深かったんだけど、とても友人たちに親切なんだよ。駅まで見送りに行ったりとか。親切を形にしている、というか。20代前半くらいの居候先の人たちの所でも、友人をすごく大切にしているというのを感じる事が多い。これは何なのか?で、僕は大切というのと違う感じで、それは、サイトウさんも書いているけど、あまり気を使われていないという感じ。

き・分からない、昔は雑にあつかうのが友達というふうなのがあったのかもしれない、いいんじゃないかな、まぬけが平気っていいですよね、私もまぬけが平気な方だったけどでも最近バカにされなくなったなあ、でも長くつきあいのある人は私をバカにするようになる。なんかタコ八郎をおもいだしますね。まぬけで平気って。

て・そうですね、僕もまぬけなので、まぬけと思ってくれないと少し困るというか、でもたしかにつき合いが長いとその辺は、分かってくる。でも、これって、かわいい線をねらう、というのと同じでは?

き・それで実は負けず嫌いってね。そうだね。でもどこまでやるか、たこ八郎ねぇ、かわいい線をねらう場合は本気でバカにされることを嫌いそうだが、まぬけはまぬけだからなぁ。

て・寝小便してもまぁ、平気という事か。

き・どんなことでも突き抜けているとかっこいいね。

て・かっこいいというのが、どういう事なのかな。突き抜けている、という事なのだろうか。うーん。それはそうと、バカにされない、という事でいうと、最近自分は「教える立場」がけっこう好きだ、という事に気付いた。恭平は、昔は特に教えることが好きだったなぁ。で、だんだん「教える」事がさまになってきたりしたら、まずいなぁ。まぁ、教える居候という事自体、まぬけかも。でも、それは冗談で、まずいなぁとは思う。

き・まずいなぁというのは分かるけど、どうしてなんだろ。説教のように一方的なのはよくないけど、いいかんじの教えるというのはあるかも、しかし私だいたい教わることが嫌いなんだよなあ、その方がまずいかも。

て・そうだったのか!教える「立場」なんてものを前提としてあるとおもっているのがよくないんだよな、だから、まずい、と思っている事がまずい、というか。この号でも影響を受けるという事を言ってるんだけど、言ってるというのは、出来てないから言っているんです。僕から見ると恭平は、教わり上手に思えるけど。あと、影響を受ける、というのは3号で山崎さんも書いてますね。

き・好きになって影響を受けたいっていうふうに、いっていた。

て・僕が影響を受けたいというのと少し違うのかも、この号でも書いているけど、影響を受けて何かをやりたいのであって、関係の作り方だよね。

き・自分の窓を大きく開けるというのは魅力的ですね、そしてそこにいろいろな風が入ってきて、どうなるのかというかんじですか。

て・うーん、どう受けとめるという部分で、やっぱり、僕は雑だなぁと思う。直観に頼りすぎるというか。恭平の方が、まだ細かく見てるよ。細かく見ないと、今どうでもいいと思っている事は、見逃すよな。

き・見てるところはそうかもしれないけど私はそのあとがダメだから。

て・ところで京都で三浦さんと男湯に恭平は入ったんでしょ。どうでしたか?

き・怖かった。彼女、一番熱い湯にずっと入ってすぐのぼせてて、頭に水かけてあげた。緊張してたんだと思う。私はベタベタしてみたいなあと思った。

て・そう、僕が行っても怖いと思ったんじゃないかな。けっこう周りの人のたばこ、けむいね。

(98年3月16日17日下高井戸実家、21日高円寺4丁目カフェにて筆談)