9月24日、ココルームで

9/24、ココルーム来て下さった方ありがとうございます。

とても良い会になったと思います。そして、盛りだくさんの会でした。少し時間がたって、その中で、二つの言葉が残っています。一つは假奈代さんの言葉、もう一つは会場のホームレス女性からの言葉。それと、当日、キョートット出版としていちむらさんの本を出版したい気持ちをいえなかったので、考えつつ書いてみます。

假奈代さんが「むすび」の紹介として、70何歳まで、生き抜いてきた事を尊敬する、そこから学ばさせていただくことがたくさんあるだろう、といっていたこと。

私が、大阪西成に行ったり、ホームレスの人たちと接すると、路上で凍死する人がいることを思うと、つらくなりますが、なにか力づけられ安心する感じもします。それは、センチメンタルなかんじでというのではなくて、もっと実際的なこと、生きていくということのための、生活の創意工夫とか人と人とのつながりとかしぶとさとか、です。それは、生きかたの可能性が広がるかんじがする。 何もなくなっても、そこから生きていく、そういう実践がたくさんあることを知ると、人生を縛っているもの(お金、仕事、家族……のようなもの)から少し解放される感じがします。また、人生(なんとか生きていく)ということに安心を感じます。

性差のことを考えます。女性のホームレスが少ないこと。会場から、女性としてホームレス生活をする事の大変さ、恐怖について、発言をいただきました。顔をみせないとようにしていたこと、夜、冬でもテントをすこし開け、人が来ないかわかるようにしていたこと、など。
いちむらさんも公園に住み始めたとき、ここに女性は住んでいるのかしら、と思った、女性たちは外に姿を現さないようにしていた、という事を言いました。それは、女性として、ホームレスをすることが出来なかった、ということだ思います。理由は暴力でしょう。野宿することの恐怖について、それは男性でもそうだ、という発言もありましたが、女性はそれに加えて、女性であることからくる暴力に対する恐怖があります。それで、女性であるということがわからないようにして生活するという、大変な不自由を強いられていた。

女性がホームレスになれるということは多くの女性に希望と安心を与えるのではないかと思います。すべてを捨てたり、失っても、収入がなかったりしても、生きていっている、それも豊かさをもって、そういう実践がされているということは希望であり、安心だと思います。例えば、DVなどから逃げるという場合などを考えてみても。男性より女性はより人生を縛るもの(お金、暴力、仕事、家族、男、子ども、……)が多いように思える中、それらから自由になる(どれだけ自由かはおいておいて)選択肢のひとつとして、ホームレスという生き方を持っているか否かということは重要ではないかと思います。
ホームレスがすばらしい、とかどうとかの話ではなくて、ホームレスになることが許されないということが、どれだけ抑圧的であるか、ということです。

そんな中、今、作っているいちむらみさこさんの本は本当に大切だ、と思う。この本の魅力については、やはり稿を改めて。たくさんあって、なかなか、書けないのです。(答えを出すように書こうとしているのがいけないのかも。)